「エゴ」について書いてみようかと思います。まず「エゴ」の定義です。言葉の定義が明確でないと何を言っているのかわからなくなるのでまずこれを決めたいと思います。私の中では「エゴ」とは、欲望や意図などを抱くことです。たいていエゴは悪い意味で使われます。「あなたは自分のことばかりでエゴが目に付くよ」などの言い方なんかで。ただエゴがないと私たちはここにいないも同然かもしれません。欲望や意図がないということはある意味死んでいることに近いでしょう。ただ「あるだけの存在」がエゴが無い状態です。こう定義をすると、お金を欲しくて犯罪を起こすことも人を助けたくて奉仕する人も平和を目指して活動する人もすべて自分のエゴから行動していると言えるでしょう。「私はエゴから行動していない。世のため人のためにやっているのだ」という人もいるかもしれませんが、あくまでエゴを欲望や欲求を抱くことという定義からすればエゴになります。ただエゴには個人的なエゴと複数の人からなるエゴがあるだけです。世の中でよいこととされているのは複数の人がよいものであるという価値判断をしているエゴに過ぎません。よくエゴはないほうがいいといいますがそれは?です。エゴがないとは「ただあるだけ」なのですからこの世界にいる意味があまりないでしょう。この世界はある意味エゴを持って経験する世界です。どんなエゴを持つかはその人が決めます。自由にエゴを持っていいのです。ただ世の中の多くの人が持つエゴは喜びになります。例えば、「愛が欲しい」、「愛を与えたい」「感謝したい」、「許したい」など波動が高いものはたくさんの人が望みます。それだけ喜びが大きいからです。でもこれらもエゴには違いありません。