私達人間はこれでもかってほど罪悪感にさいなまれることがあります(中にはほとんど感じない人もいるかもしれませんが)。たいていは世の中の規範だったり、宗教的な制度だったりします。私もよく罪悪感を持つことがあります。例えば、電車の中で体が触れただけで「なんでくっつくんだよ」とかじっと見られると「なにか文句でもあるの」とかミニスカの女の子を見て「エロイなー」とか会社で上司からこれやってくれないとか言われ「何で俺がやらなきゃいけないの」とかいろいろな心の声を発するわけですがこのような事で心を満たすことがいわゆる「いけないこと」って思ってしまうわけです。そして「浄化されていないな」とか「純粋にならなきゃ」とか罪悪感が芽生えるのです。でも、これらの気持ちを抑えるのはまた簡単ではないわけで日々、こういう観念と反省が交互に心に浮かんでは消えるのです。でもよーく考えてみると罪悪感にさいなまれるのって恐れから来ていたりするのです。神様から罰せられるとか運が悪くなるとか。でも神様は私達人間に自由を与えているわけであり、善悪とかは判断しないのです。善悪を判断しているのは私達人間です。もちろん悪いことをするのは気持ちよいことでもないのでそれは避けるべきかもしれませんが、罪悪感を手放して喜びに生きるようにしたほうがいいのではないでしょうか。心の移り変わりで注目すべきことはその気持ちが「愛を基準としているか」だと思います。愛がないとどうしても喜びを感じられないのです。そういう時は罪悪感を感じるのではなく愛を感じないような心持ちを手放しそれを愛になるように変容するだけでいいのです。自分を善悪で判断せずに、ただ気持ちを変えればいいのです。だから大いにいろいろな感情を味わってそして愛がある感情を残していけばいいのです。