価値判断は時に怒りを生み出したりします。例えば親が子供を思って注意するとか、上司が部下を思ってしかるとか。価値判断をするのがよくないと何も言わないと何も変わりません。自分の中にある何がそう価値判断させるかを見てそれを消していくということも可能です。しかし、普通は相手のことを思って言葉をかけたりします。これが相手の怒りを生み出すことがあります。しかし、これはこれでよいのではないかと思います。絶対的によいとか悪いというものはありませんが私達はある価値の存在する世界に生きているわけです。そしてある意味、自分の内面の価値の統合をしているとも言えます。注意されて怒る人は注意された内容ではなく、注意されたことつまり自分が悪いと価値判断されたことに対して怒りを感じます。簡単に言えば、「私は愛されていない」というように思ってしまい、その感情を解放するために怒ります。この怒りに対し、受けとめることができればいいのですが反対に怒りで反応してしまうと…火に油をそそぐように大火事になります。怒りの本質が何か見極めることが大事です。どちらの立場でも意識に目を向けると気づきが得られます。