山があるから登るのではなく、登りたいから登る
9月 25th, 2008 by Atom
昔の言葉ですが登山家に「なぜ山に登るのですか」と尋ねたら、「そこに山があるから」と答えたそうです。私なら「その山に登りたいからです」と答えます。山に登る主体は自分であり、自分が山に登ると決めない限り山には登れません。山に登りたいと決めるのは「山に登る経験をしたい」からです。ものごとは何でもその主体である自分がやりたいことをやっているだけです。では「病気で心ならずも死んでしまう子供」とか「行きたくない戦争に行かされでしまう兵士」はどうでしょうか。果たして自分がやりたいことをやっているのか。表層意識では「したくない経験」であると思います。たいていの場合は表層意識にとって苦しい経験ですから。ただもっと深い潜在意識では違うかも知れません。その苦しい経験をあえて選んできたかもしれないのです。ここで言っている苦しいとか楽しいもある観点から見た価値判断です。どの観点からものごとを見るからによって感じ方が違ってきます。表層意識だけで価値判断し、喜怒哀楽を味わうのは素晴らしい経験です。たださらに大きな観点で見るとさらに素晴らしい経験ができます。先ほどの山に登りるという経験でも観点を変えるだけでたくさんの素晴らしさが発見できます。自分がする経験が「どんな観点から経験するかにより変わる」ということに気づくと意識の新たな可能性が広がるのではないかと思います。