勉強会の後の夕食で悟りについても少し話題となりました。
私自身、悟りに興味はあまりないのですが、このブログで検索してみると悟りについても言及していたりします。
私のブログで私自身は悟りを
「自分が何ものかに気づくこと」
と書いていたり、
「わからない」
と書いていたり、その時によって様々のようです。
ある意味、どちらも正解でしょう。
なぜなら、ブログに書いている時はそう感じたからです。
勉強会に参加したHさんは悟りが何段階かあると話していました。
悟りがひとつである必要はなく、他人と同じである必要もないでしょう。
だとしたら、悟りって、自分が悟ったって思ったら、それが悟りってことでいいのではないでしょうか。
「でも、自分が本当に悟ったのか?」
このように正しさを求めると例の思考の罠にはまり、永遠と悟りを探してしまうかもしれません。
「悟り」という言葉にしてしまうと、その意味がひとり歩きしてしまうような気がします。
言葉は所詮、レッテルであり、ひとりひとりが持っているイメージも異なります。
同じイメージであるとは限らないので、悟ったと言っても、悟ったものが同じであるかどかさえもわかりません。
だから、悟りは比べるものではなく、単に自分の中だけのものかと思います。