昔、本を読んで「この世の生まれる目的は修行し霊性を高めるため」と考えていました。確かに「生老病死」のあるこの世界で生きていくことは困難でまるで修行のように思えてしまいます。お釈迦様は気づきを得ることにより悟りの状態となり、この「生老病死」を克服しました。この悟りはいわゆる「知っている状態」という感じがします。なぜ、生きるのか?なぜ、苦しみがあるのか?なぜ、私はここにいるのか?など、すべてのなぜについて答えることができる状態だったのではないかと思います。さて、この世は本当に修行の場なのでしょうか?。答えはどこにあるか。それは自分の中にあります。というか自分の中にしかありません。かといって他人に聞いてもかわまないのです。自分の中にしかないとうのは「自分が意図的に探すことで見つかる」ということです。どんな疑問の回答も可能です。これは質問と回答は同時に存在しているとも言いかえられます。