ここ数日間に起きた、大きな荒波と小さな波がだいぶ治まってきています。
すごく落ち着いている感じで感情が安定しているのがわかります。
今まで相当ため込んでいたようです。でもこれはなかなか自分では気づきにくいものですね。
メンタルを病んでしまう人が多くいます。この人達も自分の中にあるストレスをどんどんためこんで、ためこんで限界になった時に、どうにもならないという状況に陥ってしまうのではないでしょうか。
パニック障害というのがありますね。はじめて、これを経験したのがたぶん、小学校の時、プールの時間にシャワーを浴びていると突然、
「怖い」
という感じが襲ってきました。当時は、パニックという言葉も知らなくて、ただ
「水が怖い」、
って思いを強く心に刻みつけてしまいました。当時の担任の先生に無理やり水の中に押し込められて
「死ぬ、死ぬ」
と叫んでいました。今、思うと、パニックを引き起こしていたんだと思います。
また大人になり仕事をはじめてから、1度電車に乗る前にパニック状態になったことがあります。これは経験した人ならわかると思うのですが最悪の経験なのです。
「怖い、死ぬ」
って本気で思うのです。こんな時に思い出すのは家族のことだったりします。
「先に死んでごめんなさい」
と母親に向かって心のなかで叫んでいるのです。
とりあえず、電車に乗るのですが怖くて頭を電車のドアの窓に打ちつけてなんとか気を紛らそうとしました。周りの人は奇異に思ったのでしょうが、そんなことは気にしていられないのです。
ちょうど乗換の駅が来て降りました。だいぶ恐れはなくなってきていました。家族に電話をして状況を話しました。なんとか落ち着いたので会社には行き、仕事をすることはできました。
さて、メンタルを病む人が現代は増えていますが、この状況はよいとは思えません。
「私は大丈夫」
って人もいると思いますが世の中全体に不安感があると少なからず影響を受けるはずです。
かと言って過剰反応してしまうことはないです。かえってよくないと思います。
ここ数日間の中で、自分の中に
「人を苦しみから救いたい」
という気持ちがあることを発見しました。
これは自分の反映でもあり、自分が苦しみから抜け出したいとうことでもあります。
数日前にも書きましたが釈迦は
「生きることは苦しみである」
と言いました。
今なら、わかりますが、これは1つの
「信念」
です。
「生きることは苦しみである」という信念を創っておいて、それを経験しているのです。アバターをやるとこれがよくわかってきます。
釈迦のように「生きることは苦しみである」とこの世界を定義付けてしまった時、どう感じるでしょうか?
生きることに虚しさ、苦しさ、辛さ、悲しさなどネガティブな感情が出てくるのではないでしょうか。
もちろんこれが悪いとかよいとかではないので、それでもいいのです。
しかし、この「生きることは苦しみである」という経験を私達は長きに渡り経験してきています。歴史を見ればそれが真実だとわかります。
見方を変えると
「苦しむことも経験であり、人類が望んでいること」
とも言えます。
ですが、もうそろそろ終わりにしてもいいのでは?って思います。
2012年のアセンションと関係があるのかどうかはわかりませんが、世界や日本で起きているいろいろなこと、自分の中に起きていることなどを見ると、大きな変化がやってきているのは確かです。
外側の変化は内側の変化でもあります。つまり、意識の大きな変化があるのです。
変化を恐れず、常に本来の自分らしくあること、今まさにそれに向かって突き進んでいる感じがします。