NHKで11/23に放映された立花隆さんの思索ドキュメント「がん 生と死の謎に挑む」が先日、再放送されていました。
今日はがんについて私の考えを話したいと思います。
ジャーナリストの立花隆さんは、一昨年、膀胱がんの手術を受けました。立花さんは「人類はなぜ、がんという病を克服できないのか?」ということについて突き詰めていきます。そして世界中のがんの権威といわれる人々に「がんと何か」、「がんをどうして克服できないか」ということを取材してきます。その中でがんという病が、生命誕生の謎と深く結びついているという事実がわかってきました。
実はがんの原因とされている「がん遺伝子」は、生命の誕生から成長に至るまでに不可欠な遺伝子でもあることがわかってきています。さらに、がん細胞は生命40億年の進化で得た様々な細胞の仕組みを利用して増殖し転移することも明らかになっています。
幹細胞は複数細胞に分化する機能と自己複製機能を持っています。この細胞があるからこそ私達は生まれて成長して生きることができます。そしてがん細胞はこの幹細胞に非常によく似ています。遺伝子がちょっと違うだけなのです。これがどういうことかとういとがん細胞とははじめから私達に組み込まれた不可欠な細胞ということなのです。
さてここからが私の視点です。
そもそも私達は生命をつないで存在したいという欲求があります。同時に、生命を終りにしたいという欲求もあります。これは自殺ということでもありますが、一般的な自殺は意識的な自殺ですがここでいう自殺は無意識化での自殺です。がんはこの無意識化での自殺の手段とも言えるのではないでしょうか。もちろん老衰で死ぬのも同じことです。細胞が再生しなくなり死んでしまうのということですから。
今、 「2人に1人はがんになり、3人に1人はがんで死ぬ」そうです。見方を変えるとがんという病気を選択して死を選んだともいえます。
死を選ぶとは生きることを放棄するという悲劇的なことととらえるより、次のステップに進むことととらえることもできます。いわゆる輪廻転生という考え方です。ここでの役目が終わったので次に行くということです。これは精神的には楽になる考え方です。この考え方には生命は永遠であり、死は単なる意識の変化にすぎないということでもあります。
死についてですが死がなぜこれ程、人にとって大きな意味を持つかというとそれは
「死に対する恐れ」
があるためです。もし死に対する恐れがないなら、あまり関心は払われないはずです。
この恐れについてはこのブログでも何度も書いてきました。恐れの正体は分離感です。そして分離感がもしなければ恐れはないと思います。そしてなぜ分離感を感じるかというとそれはつながっているという知覚がないためです。この瞬間も私達はすべてつながっています。このつながり感を感じることは非常に心地よいものです。死を意識する時、このつながり感がなくなってしまうと思うと恐怖を感じます。しかし、常につながっているのだという知覚つまり常につながっているのだという信念があれば恐れはなくなります。
どうしたら恐れを感じないようにつまり、常につながっているという信念を持つことができるでしょうか。もちろん、理屈としてそうなんだと思い込むことはなかなか難しいです。例えば、科学的に証明されたら信じることが出来る人は増えるかもしれません。ただ解明されるのは先になるでしょう。だとしたらどうするかというとこれは
「感じる」
しかありません。例えば、死んだ人が見える人がいます。そういう人は死は終りではないと知覚しています。ですから死を恐れる事はなくなります。ではどうしたら「感じる」ことができるのでしょうか。それは意図することです。そのような経験をしたいと意図し、そのために必要な行動をすればいずれ答えは出てきます。
死を意識するということは生きることを意識することでもあります。生と死はコインの裏表のように思えますが本当は裏表などなく単なる意識のちょっとした変化なのかもしれません。