信じることも愛のバリエーションの1つ
6月 22nd, 2009 by Atom
信じることがこの世界を創り上げていくことの基本です。信念の上に成り立っている世界とも言えます。そして愛という言葉ですが、言葉で定義することは難しいです。ただ波動が高い状態なのは確かです。何かや誰かを信じることはそのベースに愛があります。つまり信じることも愛のバリエーションの1つとも言えます。誰かを信じれない時、その信じれないと思う、自分自身の中になんらかの判断がされていることに気づくでしょう。自分の基本となる正しい、正しくないという基準が誰かを信じられないという思いを創っています。この基準がひとりひとり違うために私が信じている人、私が信じているものと他の誰かが信じている人、他の誰かが信じているものは異なるのです。
ここで気づくのは信じる基準がどうかで人やものへの思いが変わると言うことです。この基準は実はあまりあてになるものではないことが多いのです。なぜならそれは絶対性があるものではなく、変化するものです。変化しないもの、絶対的なものというのが無いのがこの世界です。
もうひとつ別の見方をして、価値基準がないということからこの世界を見てみるとどうなるでしょう。あなたと私で違いはあるでしょうか。あれとこれは異なるでしょうか。価値判断がなくなると区別ができなくなります。つまり皆同じなのです。ここで皆同じだと感じるとどのような感じになるでしょうか。実は非常に波動が高く、心地よい状態となります。例えばコンサートなどで客席とアーティストが一体となった空間を考えてみてください。あれは非常に気持ちがよいものです。また、仕事仲間と大きなプロジェクトが成功した時を考えてみてください。大変嬉しいはずです。
ちょっと脱線してしまいましたがこの世界は愛を表現する、愛を実感する経験の場だということです。たぶん、愛という不思議なものを分離して楽しむ場がここなのでしょう。信じるもその1つです。人が信じれないとか、信じるのが怖いというなら、それは信じることつまり愛を学び経験しているということかと思います。愛(愛が適当なのかわかりませんが、ベースとなる何かとしてここでは愛としています)とは実は私たち自身であるとも言えます。つまり
「愛は愛を経験して愛を感じている」
なんとも言葉にするとわかりにくい表現なのですがこんな感じです。大いに愛を感じましょう。