備忘録5(好きになれる、喜びを見出す)
6月 4th, 2009 by Atom
新たな気づき。備忘録4である対象に気持ちが悪い、見るのも嫌だと感じることについて書きました。「自分の中に愛せないと感じる部分がある」と感じたと記しています。今回気づいたのは
「嫌いなものも好きになれる」
ということです。何らかの価値判断によりもしくは信念によりもしくはさらに別の何か(後で説明)により嫌いというレッテルを貼り付けているものについて、
「嫌いなものは好きになれない」
と思い込んでいるんだと感じました。今回、私が嫌いなものor嫌なこととして取り上げているのは「不潔」です。いつの頃からか、不潔なことに嫌悪感を生じていました。たいていの人はそうかもしれません。私の場合、外に落としたものを洗わないと気がすまないとか、何か汚いと思うとキレイにしないと気がすまないことがあります。これがひどくなると不潔恐怖症にまでなってしまいます。私の場合、そこまではいっていないと思いますが実際の線引きは難しいかもしれません。なぜ汚いと感じるかをたまに探求しますがこの答えは出ませんでした。そしてそれと共にあった思い込みがこの「嫌いなものは好きになれない」です。当たり前だよと思われるかもしれませんが、
「嫌いなものを好きになれる」
と感じました。やり方はシンプル。端に自分で決めるだけです。たったこれだけ。でも実際に実践するとどうかはこれからです。これに先ほど気づいたばかりなので。あまりにもシンプルすぎると自分で思ってしまいます。
そして、嫌いだという対象を嫌いな理由については
「理由はないかもしれない。端に決めているだけかもしれない」
と感じます。私は何か理由があるはずだから、それを探そうとしていました。論理的に理解しようとしたからです。でも理由なんてなくてもいいし、単なる思いつきとか皆がそう思っているからそうしているだけというすごくシンプルなことがその理由ではないかと思います。あ、たぶん、そうです。皆が嫌いだというのを感じて、自分も嫌っているだけだと思います。いつの頃からかそう思ったのかは不明です。たぶん、小さな頃は平気だったように思えるのです。小学校高学年から中学生ごろかもしれません。そしてそこに意識をもっていっていてそれが強化されると不潔恐怖症にまでいってしまうのでしょう。結局、自分で決めているという結論になるかと思います。だからこそ
「自分で変えられる」
とういことです。これって結構、基本的な考え方です。オバマ大統領が演説でよく言っていた「Yes,We can 」と同じことです。
この自分でできるという意識はエネルギーの高まりを感じます。力が湧いてきます。これに気づけたことに感謝します。
「喜びを見出す」
これも先ほどの「好きになれる」と関連していますがどんなこともその中に喜びがあるということです。簡単に言えば、見方によって違うということになります。
「蓼(たで)食う虫も好き好き」
という言葉は真理だと思います。「これは蓼のような苦味のあるものでも好んで食べる虫がいるように人の好みはいろいろある」ということです。喜びはどこにでもあります。それを見つけることはできるはずです。見つけるには端に見つけようとする意図を持ち行動するだけです。
「好きになれる」と「喜びを見出す」。
どちらも何かにチャレンジするとか、自分を変えようとする時の、エネルギーとなるはずです。