人の価値は何で決まるか
5月 28th, 2009 by Atom
いとこが亡くなり、お通夜に行きました。私は親族なので先に焼香を済ませました。その後、一般の参列者の方が焼香をしたのですがその数がたくさんいました。だからかなり時間が経っていました。その時、「人が亡くなった時にその人の価値がわかる」と思いました。いとこは日頃から好かれていたのではないでしょうか。だからこそ、参列者が多かったのです。人と人の絆が強かったとも言えます。つながりは、血縁だけでなく、学生時代、会社、地域、趣味、いろいろあります。人により、どんな絆が強いかは違いますが、この世界で生きていく以上、つながりは多く、そして強いほど、その人は価値があるということになるかと思います。これを言い換えると、「愛されていた」ということです。これはつまり「愛していた」ということです。
まとめると、「人をどれだけ愛することができたかでその人の価値が決まる」とも言えます。ひとつのものの見方ではありますが、まさにそう思います。
こんにちは、hiroです。
お悔やみ申し上げます。
僕も、両親の葬儀を経験しましたが、たくさんの方が参列にいらっしゃった時はとてもうれしかったです。
いとこさんも、喜んでおられたのではないでしょうか。
生きているうちに限られた人との出会いを大切にしていきたいとなぁと思います。
「人をどれだけ~愛せたか」
「愛されたければ、愛しなさい」ということですね *^-^*
日々~実践です ^∀^
こんにちは、hiroさん。
>お悔やみ申し上げます。
ありがとうございます。
>僕も、両親の葬儀を経験しましたが、たくさんの方が参列にいらっしゃった
>時はとてもうれしかったです。
そうですね。私もそう思います。人とのつながりを大切にしたいと強く感じました。
>いとこさんも、喜んでおられたのではないでしょうか。
はい、そう思います。今回の経験はいろいろ考えさせられました。
ま~さん、いつもコメントありがとうございます。
>「人をどれだけ~愛せたか」
>「愛されたければ、愛しなさい」ということですね *^-^*
>日々~実践です ^∀^
はい、日々実践です。多くの人を愛せるようになりたいですね(^^)。