自分が何者か知るには
4月 16th, 2009 by Atom
昨日、プログラムを作っていていました。その中で、自分のプログラムにおいて自分が何なのか(プログラムのファイルがxxx.htmlならそれをどうやって知るか)というのを考えていたのですがなかなか難しいんです。ふと気づきがあり、これを人に例えても同じかもしれないと思いました。つまり自分が何者かってことを知るのってどうするのってことです。生まれた時に名前とか両親とかそういう身元はあるんですが、それって後付けですよね。それよりも前も含めて、自分とはいったい何者かというのをどうすれば知ることができるのかということです。意外に難しいのです。答えとしてひとつは以前にも似たようなことを書きましたが
「自分は何者でもない。自分が何者かは自分が決める」
です。確かにもっともらしい答えだし、正解かもしれない。とすると何者かって知るのは無理なのか?。いや、答えはどこかで決めてあるはずだからそれを知ることが出来るような気はします。もしくはもうひとつの答えとして
「自分が何者かを大いなる存在が決めている」
この大いなる存在は神様とか高次の存在とかそんなものです。これは自分自身でもあります。ただ最初の答えと違うのは分離した視点で見ているということです。あくまも自分が創られた存在であるということ。で自分が何者か知るには結局、自分に問うしかない。自分の中に答えがあるというのは真実でしょう(これさえも信念ですが)。他力と自力は相反するものでもあるし、同じものでもある。不思議な感覚です。