思考や感情は経験することへの抵抗
7月 24th, 2010 by Atom
これはハリー・バルマー氏が観点という小冊子の中で語っていた言葉です。
私自身この言葉にはっとさせられました。
私達が「経験」という言葉を使う時、それはどんな意味を持つでしょうか?
ひとりひとり違うかもしれませんし、似ている部分もあります。
ハリーが言っている「経験」は「感じること」という意味なのですが、この「感じる」は一般に定義されている感じるとは異なります。
それは
「ありのままにそのものを経験する」
ということです。
その時、喜びをの感情を味わうのですが、それは感じることの副産物と言えるかもしれません。
よくこのブログでも「感じる」ということについて何度も書いてきました。これはそれほどこの世界を知覚する時のキーとなるのです。
私達は信念や思い込みや常識という観点ですべてを見ています。それはあらゆる抵抗を生み出します。その抵抗は
「こんな感情をしたくない」または「こんな感情を経験したい」
というものです。
もともとのソースのプライマリー(原初の目的)は
「経験する」
ということです。
ですから、これ以外はすべてセカンダリー(第二の目的)
となります。
このような矛盾する目的が葛藤を生み出します。すべてのセカンダリーをはずすとプライマリーだけが残ります。
するとあのもっとも素晴らしい「感じる」とういことを経験することになります。
ハリーの視点は素晴らしいものです。世の中の古今東西にはたくさんの視点や観点がありますが、もっとも素晴らしいもののひとつです。