相手を尊重することは自分を尊重すること
11月 6th, 2014 by Atom
「袖すり合うも多生の縁」
という言葉があります。
意味は、
袖振り合うも多生の縁とは、知らない人とたまたま道で袖が触れ合うようなちょっとしたことも、前世からの深い因縁であるということ。
この縁をどう生かすか?
これは、自分次第です。
例えば、混雑していて、相手にぶつかった。
「なんだぶつかりやがって」
「お前からぶつかってきたんだろう」
「なんだとコラ(#`Д´)」
こうなってしまうと口げんか、さらに進めば殴り合いのけんかになるかもしれません。
ですが、ぶつかった時
「すみません、そこの喫茶店で数量限定ランチを食べようと急いでたので前を見てなかったのです。失礼しました。」
「いえいえ、こちらこそ。私もそこでランチを食べようと思ってたんです。美味しいですからね。」
「そうでしたか。ではお先に行って下さい」
「ありがとうございます。では、一緒にいきましょう」
対応によっては、こんな感じになる可能性もあります。
袖をすり合うという縁に対して、自分のエゴを出してしまうと、よい縁ではなく悪い縁となりますが、相手を尊重することができれば、よい縁となります。
もし、相手を自分と同じだと思えれば自然と相手を尊重できます。なぜなら、相手を尊重することは、自分を尊重することだからです。
ここで、「相手を尊重しなければいけない。そうすべきだ。」
こう思ってしまうと修業の旅となります(笑)。
心を清らかにして、聖人のようにあらねばって感じで。
でも、それは凡夫にはなかなかできないことです。
むしろ、相手に喜んでもらえたら嬉しいなと考えた方がやりやすいかもしれません。
いずれにしろ日頃、小さなことからできる範囲(無理はしない)で練習しておくと次第に自分が変化していくかと思います。
究極的には、相手と自分がひとつだと心の底から実感することです。
この時は、エゴがほぼないので相手を尊重することは、即自分を尊重することと同じことになります。
エゴは自分を守りたいですが、自分を守ると孤立しちゃうので、かえって自分で自分を不幸にしてしまいます。
ただ、なかなか手放せないのがエゴなんですけどね(笑)。