「価値判断をしない」のわな
10月 12th, 2014 by Atom
私がいろいろなことを学んできた過程で、
「価値判断をしない」
ということが、意識の成長、エゴからの解放、悟り、目覚めに近づくと感じました。
そして、それ自体は、正しいと思いますが、価値判断をしないことにこだわることは、かえってよくないと今は思います。
だって、価値判断をまったくゼロになどすることは、普通の生き方をしていたらほぼ不可能です。
たぶん、今まで生きてきた人で全くしない人はいないんじゃないでしょうか。釈迦だって、価値判断はしていたし(笑)。
では、価値判断をした方がいいのか?
というとそうというわけでもないです。
価値判断をすることで、他人と比較して苦しむことはいいとは思いませんし、誰もそんなことを経験したくはないでしょう。
だとすると、どうしたらいいのか。
まず、目的を「苦しまずに穏やかに生きること」とします。
この目的を達成するためにどう生きるかが、大事です。
苦しまずに穏やかに生きるという目的を達成するためには、価値判断は、なるべくしないほうがよいと思います。
他人と比較して自分が劣っていると落ち込んだり、お金がないからと運が悪いと嘆いたり、そういうことをは、苦しみを生み出しています。
なので、このような価値判断はしないほうがいいんです。
でも、Aさんよりもマラソンで記録が悪かったから、次は頑張ろうとか、テストで60点しかとれなかったので、次は、80点を目指すとか、こういう価値判断はしてもいいんです。なぜなら、別に苦しみを生み出していないので。
価値判断は、してもしなくてもどちらでもいいんです。
もし、それが苦しみを生み出しているなら価値判断をしない、苦しみを生み出さず逆にモチベーションがアップしたり、喜びを生み出すなら、価値判断してもいい。
こう思います。
つまり、「価値判断しないことが正しい」と、こだわる必要はないということです。
前にも言った、
・受け入れる
・手放す
・気にしない
この3つが「苦しまずに穏やかに生きること」の基本です。