自分を傷つけるのは誰か
8月 28th, 2014 by Atom
嫌な奴。
こう思うような人が誰にでもいる(もしくはいた)かと思います。
でも正確に言えば、
「私が嫌だと感じる奴」
となります。
だから、私じゃない人は嫌な奴だと思わないかもしれません。
言葉が省略された「嫌な奴」と言ってしまうと、なんだか絶対にそうだという感じになってしまいます。言葉足らずが故に。
嫌な奴だと思うのは、何らかの経験で「嫌な奴」だと思わせる経験をしたためです。
その経験で、自分が傷ついたと思ったから、嫌な奴というレッテルを貼ったんです。
つまり、
「あいつは私を傷つけた」
と思ったから、あいつは嫌な奴となったんです。
最初、嫌な奴はいませんでしたが、ある瞬間に嫌な奴になったんです。
あいつという人は変身してしまうんです(笑)。
本当に私を傷つけたのは誰なのでしょう。
もし、嫌な奴というレッテルを貼らなければ、嫌な奴はいませんでした。
傷つけられたと思わなければ、傷つける人もいませんでした。
別の言い方をすると、傷つけられと認識したからこそ、傷つけた人が創られたということになります。
傷つけられるとはどのようことでしょう。これは、結局、
「自分が尊重されなかった、認めてもらえなかった、わかってもらえなかった」
という自己否定から来ています。
つまり、自分が否定されたと思ったので傷ついたということです。
否定されたと思ったのは自分です。経験に対して、それが自分を否定したものだと判断して、自分が否定されたと結論づけたのです。
そして、自分を傷つけた犯人は、他人になります。他人の責任です。
これは、ほぼ瞬間的に判断されます。
「自分は、他人のせいで傷ついた」と。
さらに場合によっては、傷つくことで相手への怒りや悲しみが生じます。
でも、本当は違います。
自分を傷つけたのは自分の他にいません。
自分が「他人の言葉をきっかけに他人が自分を傷つけた」と判断したので
傷ついたのです。
この判断は、信念とか常識とかであり、自分にとって正しいことなので、この判断をしている主体である自分が自分を傷つけているとは、思えないのです。
これがひとつのポイントです。
そして、ここでのもう一つのポイントがあります。
過去の嫌な思いでとして、「私は〇〇のせいで傷ついた」と言う時、傷ついたのは、過去じゃないです。
経験自体は過去のことですが、傷ついたのは、今です。
言い方を変えれば、「過去の経験に対して、今傷ついている」ということです。
感情は過去じゃなくて、今なんです。
「今、私は傷ついている」
です。
そして、他者が自分を否定したためだと思い込んでいます。
ですが、本当は先ほど書いたように自分です。ですが、自分が自分を否定していると思えないので、他人のせいにします。また、他人のせいにすることで、少しは楽になります。
なぜなら、「お前が傷ついているのは、お前のせいだ。」となってしまうと、さらに自己否定の上塗りになってしまうからです。
「お前が悪いのだ」が、「お前が、お前だけが悪い。お前が張本人だ」って感じになってしまいます。
正義とか常識とかで、自分の責任を相手に押し付けるのは、自分を守るため、自己否定しないためです。
すべてが自分の責任だと思えれば、受け入れるしかないので、傷つくことはあってもそれが続くことはありません。
まとめると、
・自分を傷つけるのは誰かの答えは自分。自分以外に自分を傷つけることはできない。
・傷ついているのは、今。過去ではない。そして、傷つきたくないと思うのは、今を否定していること、受け入れていないこと。今を受け入れると、傷は自然に癒える。