今日は少し長文です。さらに加筆するかもしれません(笑)。
昨日の金スマという番組。
「X JAPAN」のToshlさんがゲストでした。内容は、洗脳について。
当時、絶頂期であった「X JAPAN」を脱退した理由、その後の12年間にも及ぶ洗脳の時代を赤裸々に語っていました。
ひどい仕打ちを受けながらも、なおそれでも教祖や妻(妻も教祖の一味?)を信じてしまう仕組み。
これを見た人は戦慄を感じたかもしれません。そして、洗脳は怖いと思ったかもしれません。
私も見ていてちょっと気分が悪くなってしまいました。
それにしてもToshlさんは、よくこのような内容を話してくれたなという感じです。Toshlさんが完全に洗脳は溶けたかどうかは、わかりませんが、少なくとも自分の考え、思いなどの経験をオープンにすることで、気持ちは楽になったのではないかと思います。
さて、洗脳とはなんでしょうか?
ウィキペディアによると、
一般に「洗脳」というと、特定の主義・思想を持つように仕向ける事、またはその方法を指す。洗脳はマインドコントロールとは違い、主に物理的暴力(拷問のほか、薬物の利用や電極を埋め込む手術を含む)あるいは精神的圧迫(罪の意識の植え付け)などの強い外圧があるとされる。
となってます。
個人的には、暴力を伴わなくても、自分の意図通りの思想や考えを相手に仕向けることは、すべて洗脳じゃないかと思います。
そういう意味ではこの世界全てが洗脳世界でもあります。
例えば、資本主義。日本人の多くは、当たり前のようにそれを受け入れてますね。ですが、資本主義もひとつの主義です。ですから、私達は資本主義に洗脳されているとも言えるでしょう。
また、学校などの教育もそうだし、親が子供に教えることも洗脳になります。ブランドもそうでしょう。
「悪いことをしてはいけないよ」とか「夜は早く寝ないといけない」とか「いい学校に入らないと将来、ろくな暮らしができない」とか。
別に悪いことじゃないと思うかもしれませんが、特定の考え方の押しつけという意味では洗脳と違いがありません。
ただ、Toshlさんの洗脳が他と決定的に違うのは、
・脅かされたり暴力を振るわれていたこと
・お金を搾取されていたこと
・Toshlさんが劣等感や悩みを抱えていてそれを利用されたこと
です。
これだと暴力団の行為と同じことです。
ただ、Toshlさんを洗脳していた団体は、アメとむちを使い分けてToshlさんがたくみに逆らえないようにしていたようです。女性に養ってもらうヒモと同じですね。
そして、Toshlさんの心のすきま(劣等感、家族への不信感、etc)を利用してそれを解決する手段を教祖側が提供していたのでしょう。
1998年に騒動が起きた時に、Toshlさん、教祖、妻の3人がテレビ出演をした動画があるのですが、これを見ると、スピリチュアル的でもあり、感情に訴えた内容でした。
たぶん、セミナーなどで、こんな感じでやられてしまうと、精神的にかなり影響を受けると思います。実際にToshlさんが始めて参加したセミナーは、Toshlさん以外は、すべてそのグループの人間だったようです(後日調べてわかったと番組では話されてました)。
私も自己啓発セミナーは何度かでたことあります(もちろんToshlさんのとは違いますが)。このブログでも取り上げたりしてます。
自己啓発セミナーだと、学校、親、ブランドなどの巷の教え込みや主義よりもさらに強力です。
ダイレクトに心に訴えかけてくるためです。なので、ハマってしまう人はハマります。
特に女性ですね。こういうのにハマるのは男性より女性の方が多いです。理由は、感情が揺さぶられるからです。
たいていこういう自己啓発セミナー組織のリーダーは男性なんです。それは、ある意味、支配の構造になっているから。女性でもいますが、その場合、その女性は男性的です。
こういう自己啓発セミナーは、なかなか、よいとか悪いとかは決めつけることができません。本人の価値観によるからです。
だから、Toshlさんを洗脳していた団体も、私は詳しく知らないので、よいか悪いかはわかりません。
ただ一つ言えるのは、自己啓発セミナーとかすべての教え込み(主義、教育、ブランド、etc)を信じ過ぎてしまわないことです。
そして、俯瞰してみる視点、客観的に見る視点、疑って見る視点を忘れないことです。
信じることはとても大事でそれがないと、人は生きるのが辛くなります。
日本ではそうでもないですが、海外だと宗教を信じることが生きる糧となっている人がたくさんいます。
だから、信じることは必要です。ただ、それだけじゃなくて、信じないことも必要です。
前にこのブログで話した、宗教的視点と哲学的視点です。
宗教は信じることの代表です。哲学は疑うことの代表になります。
私個人のことを話すと、仏教とか禅の教えとか、科学とかそういうのは、信じる部類に入ります。
一方で、それらが本当か?と問いかける視点を持っています。これは、哲学的視点です。
そして、自分なりの答えを見出しています。
ここがポイントです。
いろいろな観点から見て、自分なりの答えを見つけるしかありません。
さて、映画『アナと雪の女王』のヒットもあって、「ありのまま」って言葉が流行っていたり?します。Toshlさんを洗脳していた団体も「ありのまま」って言葉を使っています。
自然のままがいいってことです。これだけ聞くと悪いとは思えないですよね。たくみです。
Toshlさんは妻にそう言われて、ビジュアルの化粧を途中でやめてしまいました。
「ありのまま」は自然の姿。確かにそうも言えます。ですが、別に化粧をしてもいいんです。そうしたかったら。もし、すっぴんが怖いなら、すっぴんになるのは、チャレンジになります。そういう意味ではあえてそうするのでもOKです。
「ありのまま」は、こうでなければいけないということではなく、「これでもいいし、あれでもいいし、別の何かでもいい」。つまり自由度が高いのです。
「ありのまま」は自然じゃないといけないなら、この世界で人間が創ったものはすべて否定されてしまうでしょう(笑)。
ただし、自由だからと言って、自分の欲だけで生きると、それもまた違うように思いますね。他人のことを無視した自分勝手じゃダメってことです。
人との絆も大事だし、愛や慈悲も大切です。
どう生きるかは、どうありたいかによります。
一人一人が自分で、探求していくことです。