昔は沈黙は金、雄弁は銀と言われていました。
ただここ最近、欧米化に伴い自己主張することが大事とされて、雄弁が金となりがちです。
雄弁であることは、仕事の成功などには確かに有効でしょう。ですが、なぜ雄弁が銀であるかというと、雄弁であることが必ずしも人のためにはならないからです。
例えば、間違っている人に対して、それは間違っていると指摘をしたとします。指摘した人はよいことをしたと思っているでしょう。ですが、間違ってしまった人は必ずしもそれを喜ぶとは限りません。余計なお世話だと思うかもしれません。雄弁であることは、ある意味「私は何でも知っている、偉いのだ」という傲慢さの裏返しになります。
一方、沈黙しているのは、相手を信じてあえて、間違えを指摘しません。相手が聞いてきたら、答えるというスタンスです。受け身になって相手を傷つけずに相手の気づきを待つということです。
どちらがよいかケースバイケースではあると思いますが、最近、沈黙もよいものだと思っています。