横山紘一さんの著作「十牛図入門」という本を読みました。
十牛図は前から気になっていたんですが、これは、逃げ出した牛を追い求める牧人が牛を見つけて、牛と一体となり消えて、また戻ってくるってお話しです。
何のことかわからないかもしれませんが、要するに「迷いから覚めて、悟りを得て、慈悲を実践する」という一連の流れを説明しているんです。
この本、いいですね。横山さんの人柄も素晴らしいです。
元々学究肌の人のようですが、東大の農学部卒業後になんと、文学部の印度学科へ転部し博士課程までいって卒業。さらに、お寺での禅修業を20年以上もやったそうです。
横山さんは、「唯識思想」を専門としているようですね。唯識(ゆいしき)という言葉は聞いたことはありましたが、はじめて学んだ気がします。
この本を読んでいて、
「自分がいない。悩んでいる自分も起こっている自分もいない」
という感覚が生じました。
不思議な感覚です。
自分を意識しないという説明できない状態です。
言葉にすることは、限定することですが、できないので、限定できません。
「あなたは誰ですか?」
この質問に答えるなら普通、
「私は〇〇」
です。
と答えて、〇〇は名前だったり、肩書だったり、何かのラベルになりますが、それは単なるラベルで、そのものじゃありません。
実はこれは、私だけでなく、すべてのもの(見えるもの、見えないもの含めあらゆるもの)に言えることです。
なので、自分から観たものは幻想になります。つまり、ないってことです。ですが、実感としてはあるんです。まさに空です。
あるけどない。ないけどある。つかみどころがありません。
そして、私がないなら、実は苦しみも悲しみもすべてなくなります。
すべて、実態がない幻になります。
また、ポジティブな喜びや幸福やそういうものもありません。
なぜなら、私がないからです。
私がないと、静かで落ち着いていて、平和です。
だから、私がいるのではなく、ありのままです。
ただあるだけ、それだけです。