「下手な考え休むに似たり」
ということわざがありますね。
意味は
・よい考えも浮かばないのに長く考え込むのは何の役にも立たず、時間の無駄
*故事ことわざ時点より
ということです。
でも、時間の無駄で済めばまだよい方で、場合によっては苦しみを生み出します。
が、これは結構ありがちなことです。
なので、考えない方がよいのですが、人間は、つい考えてしまう考える生き物のようです。
これは、癖のようなものですが、悪い癖です。
ですが、この癖は使い方によっては、いいことにも使えます。
結局、考えることも道具(ツール)としてみれば、使い方次第ということです。
さて、瞑想とか禅とかこういうものは、ある意味「考えない技術」かなと思います。
もしかして、技術と言うと失礼にあたる?かもしれませんが。なぜなら、単なるテクニック以上でもあるので。
ただここでは、テクニックと見ておきます。
このテクニックとても強力です。
シンプルだけど、奥が深いです。
使いこなす人は楽に使いこなすし、そうでないひとは全くできない。
まさに道具のようなものです。
子供の頃、そう2~3歳とかせいぜい4歳ぐらいまでは、誰もが考えないことを普通にしてました。
だから、大人になってもそれと同じことができると、思考で患うことはないはずです。
大人は、思考の使い方を学んでこなかったのだと思います。
思考は、物事を細分化して、分析して、合成して新たなものを創り出したり、問題を掘り下げて解決するのには役立ちます。
ですが、失敗や不安や恐怖や悲しみを生み出すような事象をあれこれと思いめぐらすと、毒になります。
こういうことを知らないで、無意識に思考していると、ストレスが増えそれが病へとなるのだと思います。
だからこそ、瞑想とか禅などは、誰もが学んだ方がよいと思います。
ストレスをため込まない人はどこかで瞑想的もしくは禅的手法を使っているような気がします。
例えば、何らかのストレスを引き起こすような因があっても
・気にしない
・運動をする
・人と話す
・etc
ストレスの因となることには目を向けないことで、意識を変えているんです。
結局、意識がストレスの因に向かわなければ、ストレスは生じないのですから。
考えない技術は今のような複雑な社会ほど必要な気がします。