2014/1/13の夢と寂しさについて
1月 13th, 2014 by Atom
夢の中で何かを作っている。大きさは鳥かごぐらいの大きさで、何か模型のようなものがはいっていて、それがくるくる回っている。あざやかな赤い形のものが印象的。
で、水泳パンツがあって、それを横に引っかけた。この時にとても寂しさを感じた。
こんな夢です。
わけがわかりませんね(笑)。
ただし、最後にとても寂しさを感じたのは印象的でした。夢の中で、寂しさを感じた事は何度かあります。
本日は、寂しさについて、探求をしたいと思います。
まず、寂しさはどこからくるのか?
これを探求したら、私の場合は
「自分が愛されていないと感じる」
ことから来ていると感じました。
愛されていないと言葉にしましたが、愛されることがどういうことか?っていうのは、一言では言えません。
なぜなら、たくさんあるから。例えば、
・いつもそばにいて見守ってくれる人がいる
・話しを聞いてくれる人がいる
・ぎゅっとしてくれる人がいる
・お店に入って、店員さんが笑顔で対応してくれる
・友人と一緒におしゃべりをする
・仕事仲間と一緒にお酒を飲み、話しをする
・困った時に助けてもらえる
・etc
まだまだたくさんあります。
実際に過去にこのような体験をしたと思いますし、これから未来も体験をするはずです。
なのに、「自分が愛されていないと感じる」のはなぜか?
それは、寂しい時には、今、愛されていないと感じてるから。
たぶん、愛されてないと感じても、同じ日に、親しい友達とか家族にに話しを聞いてもらったりしたら、「愛されている」って感じられると思います。
つまり、愛されていないと感じている時には、
「愛されていないと感じる経験をした時の感情なり思いを今に持ってきて、今経験しているに過ぎない」
ってことです。
なので、ある意味、”瞬間の寂しさ”です。
ですが、寂しいことを何度も経験すると、
「自分は寂しい人間なんだ」
って、自分をそういう人間と思いこんでしまうんだと思います。
そして、その思考がずっと頭にあると、「寂しいな」ってずっと思い続けてしまいます。
これは辛いしく苦しいことでしょう。
だとしたらどうするか?
それは、寂しいことにフォーカスしないことです。
寂しいことにフォーカスしてそこに留まるから、寂しさを感じるんです。
具体的にどうするかですが、人寂しいなら、人とからむ。物寂しいなら物を置いてみる。音がなくて寂しいなら、音楽を聞く。
そういう風に変えていけばいいんです。で、ここで、そういうことができないので、寂しかったりします。
例えば、人とからみたいけど、からめないとか(私もそういう時があります)。
そういう時に必ずあるのが、恐怖です(このブログでも何度も取り上げていますが)。
恐怖があるから、人とからめないんです。
その恐怖は逃げている限りずっとあります。なくなりません。恐怖は感じると、やわらいできます。いずれは、消えていきます。こうは言っても、とっても時間がかかることもあります。なので、恐怖を感じるのには勇気が必要です。
で、この恐怖を克服したら、人とからむことが楽になります。そして、そういうことができると、寂しさの原因の一つはなくなります。
寂しさの原因は一つとは限りません。複数の場合、必ずブロックをする恐怖があるはずです。
ただ、どちらにしろ、それは、単なる思い込みです。自分でこの世界の経験を通して、寂しいという感情を感じているだけです。
また、寂しい時には、「私は寂しいんだ」って自覚すると、寂しさは少し消えていきます。主観的に寂しさを感じるとものすごく寂しいのですが、客観的に寂しさを感じると、寂しさだけでなく、自分で自分に対して共感できたり、気づきがいろいろ出てきます。だから、寂しさが薄まるんです。
「寂しさを感じたくない」
こう思うかもしれませんが、それは無理です。
どんなにハッピーな人であっても、寂しさを感じることはあるし、それはある意味生きていると当たり前のことです。
実は、寂しさを受け入れることができれば、寂しさは怖くありません。
でも、寂しさを受け入れないといけないことではありません。ただ、受け入れると寂しさが怖いことじゃなくなるんです。
この受けいれるはすべての感情に対して有効です。
リズブルボーさんが、愛とは受け入れることと語っていましたが、当たっているなって思います。
ただ、愛は言葉で表現しようとすると、うまくいきません。言葉を超えているためです。
エゴは何もかも理解しようとしてしまうのですが、理解できないことを理解しようとするよりも、今を生きる方がよほど大事です。
私も探求するのが好きなので理解したいと思ってしまいますが、たぶん死ぬまで完全に理解はできないと思います。
ただ、探求をするプロセスの中でいろいろな経験をするので、それが一番の財産なのかもしれません。