FBでもらったコメントについて、お風呂に入って考えている時に気づいたことです。
私達は生まれた時から、欲求を持っています。
生きるという欲求がベースにあり、食欲、性欲などの本能的な欲求があり、成長するにつれてさらに、物欲、独占欲、所有欲、顕示欲など、いろんな形で欲があらわれてきます。
欲求とは、何かを得ようとすることです。不足しているために、欲しいのです。
修業は、これとは逆です。
出家することは、家や財産や家族さえも捨てていくことです。そして、最後に捨てるものが、自我です。
自我を捨てた時に残っているのは、本来の自分です。ただ、真実は自分なんてものは存在しないのですが、説明上、自分としています。
もし、自分という感覚がなければ、欲などはありません。つまり、欲がない状態は、自分がない状態であり、本来の自分なんです。
修業ではこの本来の自分になるために、どんどん捨てていくわけです。
この捨てるは、物理的なこともそうですが、意識的なものもです。
意識的な捨てるべき対象とは思考、つまり考えることです。
考えることは、何かを創り出すことで、創り出すとそれは、意識の中にどんどん増えていきます。
この状態は、家の中にいっぱいものがあるのと同じです。ものがあるから、ものに執着してしまいます。
もし、家の中に物が何もないとしたらどうなるでしょう。
自由な空間が広がっているので、意識は静かで澄みきっています。それだけで満足している状態です。
苦しみや恐れがなく、ただ静かに在る状態です。