欲望と欲求。
似た言葉ですが、違います。
どう違うかわかりますか?
私は明確に区別してませんでしたが、違うのです。
喉が渇いた。水が飲みたい。これは、欲求です。
かっこいい車が欲しい。可愛い彼女が欲しい。これは、欲望です。
欲求はそれしか選択肢がないもの。欲望は選択肢があるものです。
選択肢がないなら、そうするしかないですが、選択肢があるのは、いろいろ考えられます。
いろいろ考えることは、煩悩となります。
思考が、煩悩となり、煩悩が苦しみを生む。
釈迦はこう考えました。
そのため、煩悩を滅せよと、教えています。
ただし、煩悩をなくすなんてことは、人間なら無理なのです。
煩悩をなくすのではなく、滅するのです。
これは、浮かんできた煩悩を、みつめて、「煩悩が浮かんできた」ということに気づくことです。客観視ですね。
そして、この煩悩と一体にならず、捉われないこと。
すると、煩悩はいつの間にか消えていく。結局、これは、実在するものではなく、幻のようなものです。
この煩悩に惑わされると、それが、行動に結び付き、縁をつくっていきます。
縁ができると、それは、現実をつくっていきます。
欲望はさらに広がります。それに伴い苦しみが増えます。