「~を持っていれば安心」
「~の状態であれば安心」
このように思うことがあります。
これは、いわゆる「条件付きの安心」です。
条件を満足していない限り、安心はできません。
ですが、この世界で条件がいつも満足されていることは不可能に近いでしょう。
安心が条件次第だと考えている限り、安心は、いつ崩れるかもしれない城のようなものです。
では、考え方つまり条件を変えて
「~を持っていなくても安心」
「~の状態でなくても安心」
だとしたら、どうでしょう。
条件が広くなってので、安心できる可能性はかなり高くなりました。
誰しも不安は感じたくないものです。
だとしたら、安心になるための条件を広げればいいんです。
これをもし広げられないなら、そこに何らかの恐怖があるはずです。
その恐怖は本当に真実でしょうか?
真実でなければ、その恐怖は幻に過ぎません。
恐怖がなければ、不安は感じないのです。
安心感は、恐怖がないことです。
そして、恐怖は外側にはなく、内側つまり自分自身の中で自分が創り出したものです。
つまり、本当は、恐怖は創造物であり、実在しません。