私はこの名前を聞くだけで涙が出てきてしまいます。こちら(以前からこの方のページは知っていました。ラムサを知ったのがこのページです。)で同じような人がいました。私は自分を犠牲にしてまで愛を与え続けた人に対しとても心が揺り動かされるようです。自分が一番したいことという感じがします。エゴがなければつっぱしっているかもしれません(笑)。たぶん過去世にてマザー・テレサと一緒だったのかもしません。彼女を敬愛する気持ちが非常に強いのです。かといって今回はキリスト教徒ではないのです。ということは何かここに意味があるのだと思います。私はどうも宗教には嫌悪感があります(価値判断に過ぎませんが)。もしかしたら過去世で宗教に落胆したのかもしれません(^^;)。
私はキリスト教に縁のある家に生まれたので、物心ついた頃からキリスト教というものが存在していました。私的な見解や経験の狭い枠なのかもしれませんが、それはどちらかというと批判する宗教でした。仲間意識が強く排他的なもので、そして仲間のなかにもスケープゴートのようなものがいて、その社会のなかにいると魂の救済があるというより自己批判や他者批判の渦に巻き込まれるような窮屈な感じがしました。まるで中世ですね。(笑)
そんな環境でもよかったと思うことは、神様という人間を超えた存在がいるということを幼い頃から感じることができたことです。
米国のクリスチャンカレッジに進学してみて、キリスト教に対してイメージが変わりました。例えば、牧師の説教の最中に居眠りをしてしまい、「しまった!怒られるっ!」と恐怖で戦慄しましたら、後ろに座っていた老年の教授が可笑しそうに優しく微笑んでいました。上手くいえないのですが、私は自分を子供扱いしてくれる大人がこの世にいることにとても驚きました。嬉しかったのです。
結局は洗礼を受けることもなく20代前半にキリスト教から去りました。
マザー・テレサというのはキリスト教徒のなかでも別格なのでしょう。
私は最近まで出家願望があったので、マザー・テレサのような人と出会っていたら、今頃別な人生を歩んでいたのかもしれません。
「魂の部屋」のご紹介ありがとうございました。とても面白い内容ですね。
sion-sionさん、コメントありがとうございます。
キリスト教やその他の宗教にも素晴らしい側面があると思います。だからこそ長い時を経ても存在しているのでしょう。確かにマザー・テレサは波動が高いです。たぶん純粋に愛を貫いたのではないかと思います。
>私は最近まで出家願望があったので、マザー・テレサのような人と出会っていたら、
>今頃別な人生を歩んでいたのかもしれません。
もしかしたら過去に修行をよくされていたのかもしれませんね(笑)。
>「魂の部屋」のご紹介ありがとうございました。とても面白い内容ですね。
このHPの内容を何年か前に読み、非常に感心を持ちました。読み進めると
わかりますが鋭い観点の持ち主です。今回、検索エンジンで見つけて
当時を思い出しました。