恋愛や親子愛などという言葉があります。いずれも人が生きる上で、価値あるものとみなしています。恋愛の場合にはその人の事が心の中から離れなくなり、いっしょにいることが喜びとなります。親子愛の場合、親は生まれてきた子供を目に入れてもいたくないほど愛し、子供は親と一緒にいることでやすらぎと喜びを感じます。ただこれらの愛は限定されている中での愛です。例えば恋人に選ぶ人はなんらかの価値基準によって選択しています。外見、性格、財産、雰囲気、運命と感じる直感、etc。でもこれらの価値基準をとっぱらってしまうとどうなるでしょう。人は皆同じになってしまいます。皆同じように感じるようになることを何人かの仲間と話したら皆同じように感じていると言っていました。これって純粋な無条件の愛に近づいているんだろうなと思います。誰もが同じように愛しいと思えてくると素晴らしい喜びを感じます。恐れは何もなくなって(感じなくなって)います。このいろいろな価値観がある世界で暮らす上で全く価値観がない状態で生きることはないと思いますが少ない方が喜びは大きいのです。もちろん限定した愛も同時に経験してもいいんです。そのためにこの世界にいるのですから。選択するのは自分自身です。
Atomさんはきっと考えすぎなんですよ。
愛ってきっと理屈ではないのです。エロスにもアガペーにもそれぞれ意味があるのではないでしょうか。我々は人間なんですから。
自由自在に愛を体感していってください!
私は目下仔猫さんと同居するのを夢見ている人間なのであまり参考意見にはならないかもしれませんが。。。
>Atomさんはきっと考えすぎなんですよ。
なるほど、そうかもしれません。たぶん考えることも感じることと同じように好きなのです。昔はもっと考えていました。知りたい気持ちが強かったのです。今は知識だけでなく経験し感じることを大事に思っています。
>自由自在に愛を体感していってください!
はい。限定されている愛も、無限定の愛も、ひっくるめて経験したいと思います。
>私は目下仔猫さんと同居するのを夢見ている人間なのであまり参考意見には
>ならないかもしれませんが。。。
猫好きですか。私のスピ友に異常なぐらい猫好きがいます(^^)。