般若心経を自分のものにする
2月 23rd, 2012 by Atom
昨日に続き、般若心経の話題です。
山名哲史(やまなてつひ)さんの本「すごい!やっぱり般若心経だ」を購入して読みました。
この本は般若心経をわかりやすく解説した本です。
また、CD録音された日本語、サンスクリット語、チベット語の般若心経が入っています。
般若心経で最も大事なことは、実際に現実社会でどのように生かしていくかだと思います。
最終的な目的が悟りだとしてどうやって悟るかということです。
ブッダが語る般若の知恵は「苦に関する四つの真理」に書かれています。
1、これは苦であると気づきなさい(苦の中にいることがわかる)
2、これは苦の生起であると気づきなさい(苦のしみくがわかる)
3、これは苦のない状態であると気づきなさい(苦のない状態がわかりそこへ達することができる信念を持つ)
4、これは苦をなくすための方法であると気づきなさい(訓練を実践していくことが幸福の未知であると深く信じれるようになり実践していく)
私なりの解説も含め説明していきます。
まず1の状態は客観的に自分を見ることができる状態です。苦と一体となっていると苦そのもので苦しいのです。
次に2です。価値判断をしていることが苦を感じさせます。例えば、愛する人が死んで苦しい、辛い。これは、愛する人がいないことは自分にとって苦しいという条件付けとなっているからです。
次に3です。今の自分を受け入れているなら、苦しみはないのです。受け入れることができないと苦しくなります。ですから、受け入れることが苦をなくすということです。
最後に4です。ブッダはトレーニングとして八正道を説いています。
正見 苦に関する4つの心理を理解して因果の方を信じ形や欲望に惑わされないこと
正思 煩悩を持たないと決意し、執着せず、怒らず、人に害を与えない
正語 嘘、無駄口、悪口、二枚舌を使わない
正業 どんな生命も奪わず、盗まず、不倫をしない
正命 恥ずべき生活をしない
正精進 正しい方向へ向かい努力する
正念 清らかで注意深い心を持ち続ける
正定 知恵が働くようになるため、心を平穏な統一状態に保つ
さて、これを実際にやるとなるとなかなか大変ですし、たくさんあって覚えきれない部分もあるかもしれません。
正見~正精進は、どちらかというと道徳でも教えられているような内容ですね。
正思はちょっと難しいかもしれません。これは、他のトレーニングを実践するうちにそうなっていくと思います。
本の中では大事とされていることが解説されています。
正念とは、「自分を意識化していく」ということのようです。これは、実はアバターのワークでもやることです。
例えば、寝ている状態から立ち上がり、顔を洗うとします。これを意識的に行うのです。
目を開ける。上半身を持ち上げる。両手を上げて背を伸ばす。右足をベットから床へ下ろす。左足をベットから床へ下ろす。両足で立ち上がる。右足を30cm前へ出す。左足を30cm前へ出す。右足を30cm前へ出す。左足を30cm前へ出す。ドアのぶを右手で握る。右手を半分回転させる。右手でドアを押す。右足を30cm前へ出す。左足を30cm前へ出す。右足を30cm前へ出す。左足を30cm前へ出す。鏡を見る。右手でじゃぐちを回して水を出す。両手で水をすくう。すくった水を顔に持っていく。
どうでしょうか。このような一連の動作は通常、無意識でやっていますよね。とても楽にやっているはずです。
ですが、このように意識的にやるといかにいろいろなことをやっているかに気づくと思います。
これは今ここを意識する訓練となります。今ここにいると苦はありません。どんなに苦しい状態であっても、今にいる時は苦はないのです。
苦は、過去に経験した苦や未来に経験するであろう苦を今に持ってきた時にはじめて感じるからです。
そして、価値判断をしないこと。これにより苦はなくなります。これは、四つの真理の2の実践です。そして心を清らかにすることになります。
次に正定です。
これは瞑想ですが、今ここでもあります。
瞑想により、条件付けられた感情や思考をはずしていくことです。
ありのままの自分を受け入れる。つまり無条件の愛。
ありのままの自分を許す。許せないのは怒りがあるからです。怒りは価値判断からきています。すべての価値判断をはずすと、ただ在るになり。それは、ありのままです。
私達は執着しています。喜んでいる自分を愛するならそれは執着です。これは条件付きの愛です。
条件付きの愛は条件が整わないと苦になります。
般若心経を唱えるのは思考をストップさせて、今に生きるためです。
唱えることに集中すると今にいれるということです。
ですから、般若心経でなくても今にいれるなら何でもよいと思います。
音楽を聞くと今に入れるならそれでもいいでしょうし、瞑想でも、他の何かでもいいのです。
思考がなくなれば、今だけ今、今、今。今にいると苦はなくなります。
ただ在るとは、ただ在るだけです。
ただし、これは実際には経験してそれを言葉にしているので、経験した人によりいろいろな言葉となるでしょう。
ワンネスを経験した。空、大いなるもの、神。その他いろいろなものにたとえられるかもしれません。
究極的にはすべてを受け入れることができるなら、苦はなく、平穏な恐れのない安らかな状態です。