自分の中の正しさに向き合う
2月 19th, 2012 by Atom
昨日、NHKをたまたま見たら、正義で有名なマイケルサンデル教授が出演していました。
途中から見たので、ちょっと残念。
マイケルサンデル教授の講義では、常に
「正義」
がメインテーマになっています。
要するに
「自分の中の正しさ」
と向き合うことになります。
番組とは関係ないですがこのような質問にあなたはどう答えますか?
「人を殺すことは正しいか?」
・絶対正しくない
・場合によっては正しい(例えば殺人犯)
・わからない
・etc
いろいろな答えが出てきそうですよね。
では、
「楽しみのために人を殺すことは正しいか?」
このようにちょっと質問を変えたらどうでしょうか?
・絶対正しくない
こう感じる人が増えるのではないかと思います。
ではさらに質問です。
「もし、絶対に正しくないと思うならそれはなぜでしょうか?」
「なぜ楽しみのために人を殺すことは正しくないのでしょうか?」
当たり前に決まっていると言いたくなるかもしれませんが、このような問いに自分なりの答えを見つけ出すことは意味があります。
自分の中にある正しさの定義つまり信じていることが見えてくるからです。
では、私がこのように問われたらどう答えるかを話します。
私が人殺しが正しくないと思うのは、
・私が喜びを感じることは正しいこと
という信じているためです。
つまり、私にとっては、喜びが感じられないことは正しくないことなのです。私にとって人殺しは喜びを感じないので正しくないという理屈になります。
ただ、これは、1つの観点です。殺される人の視点に立っています。
もし、殺すことが楽しみという人からの視点に立つと別の観点も出てきます。
殺すことが楽しみという人にはその人なりの理由があるはずです。この理由はなかなか理解しがたいかもしれませんが。
例えば、戦国時代などは、敵を殺すことで恩賞がもらえ、国は栄えていきました。この時代の武将の意識は人殺しを楽しんでいたかもしれません。
そして、敵に対する憎しみがあればなおさら、人を殺すことに正当性を見出していたでしょう。
こう考えていくと「正しさ」とは絶対的なものではなく、相対的なものであり、変化するものであることがわかります。
つまり、正しさも幻です。