正義感という言葉にとても嫌な感じを感じました。
自分の中に
「正しくなければならない」
という強い思いを感じたのです。
だから、正しくないと思うと嫌な感じになるのです。
正しくないことを受け入れたくないから抵抗をします。
この抵抗が嫌な感じを感じさせるのです。
「アバターの道」の中に、
「何かあるいは誰かをどう判断するかは多くの場合、合理的というよりは正義であるという本能的感覚に関係します。正しくありたいという衝動(1つの信念を持つこと)によってあなたは1つの視点の中にとどまり、知性が検討できる範囲が減ります。正しいというのは他人が間違っているという意味だという場合、自分が1つの視点の中に閉じ込められてしまいます。」
明らかに正しいと思われることを貫き通そうとするとそれは画一的に物事を見ることになり、とても窮屈になります。
ですが、その中にいると、それに満足してしまうかもしれません。
私の中にある
「正しくなければならない」
もとても強固な信念です。
親、そして祖先まで含めて、この信念を脈々と受け継いできたように思います。
同じ信念を持った人達が集まれば、そこは居心地よい場となるでしょうが、違う信念を持った人達だと争いになるかもしれません。
実際に歴史を見れば、それは自明の理と言えるでしょう。
「正しくなければならない」という感じを内観していくとやはり
「恐れ」
がベースにあります。
・正しくないと人からよく思われない(愛されない)
・正しくないと自分を愛せなくなる
・etc
でも、実際に自分に正直になれば、自分の中には
「正義」と「正義ではない」部分が両方ともあるんです。
ですから、この両方を自分であると認めるととても心が開放され、意識が拡大されます。
正義感に関する信念はとても根強い信念ですが、これも手放すことで意識が変わり、波動はさらに高まります。
*根強いから開放してもこの信念はよく観察したほうがいいかと思います。復活することやさらに別の信念などがある場合もありますので(^^;