読売新聞に「格に支配されるつきあい」という記事がありました。中学校ではグループに「格」というものがあるようです。例えばおしゃれなグループとかおたくグループとか趣味思考によりグループができその間に上下関係というものが存在するそうです。そして下のグループの子は上のグループの子に気をつかって、上のグループの子は下のグループの子に優越感をいだきます。私が中学ぐらいでもなんとなくそんな格付けはあったかもしれません。当時を思い出すと「不良っぽいグループ」、「勉強できるグループ」、「ひょうきんグループ」、「おとなしいグループ」などに別れていたように思います。今は昔以上に分離が明確となり「格」というものをすごく気にするようになっているかも知れません。
「格付けをする子供社会」は「格付けをする大人社会」の反映に他なりません。そして「格付けをする大人社会」は「ひとりひとりの意識の分離」という感覚がその元になっていると思います。「自分さえよければよい」、「自分のことだけで精一杯」。意識の中に潜む分離感が格付けという形になって現れてきているのです。
この分離感を抱いたままに生きることは喜びなのでしょうか。
本来の人間の生き方でしょうか。
このような生き方を後悔しないでしょうか。
人はひとりひとり違います。経済的な格差、能力の格差、心身の格差はあるでしょう。
でもひとりひとりの魂に格差はありません。みな素晴らしい存在です。
これに気づくと大きな喜びとなります。