なぜ、家族を愛する存在として感じるか?
11月 22nd, 2011 by Atom
普通、多くの人は他人よりも自分の家族に愛情を感じます。
「これはなぜでしょうか?」
同じ人間であるし、家族が他人よりも自分の好みの外見だったり、性格ではないこともあります。
でも、家族に愛情を感じるのです。
一緒に住んでいて、愛着を感じるからというのは説得力がある理由ですが、決定的ではないように思えます。
私の観点ですが自分の家族に愛情を感じる理由は
「家族は自分と共通の信念、意識を持っているため」
だと思います。
家族は遺伝子レベルで見ると、とても似ています。特に一親等はそうですね。双子だとさらに似ています。
遺伝子は見かけや性格や気質などにも決定的な影響を与えています。
この遺伝子が同じということは似ている信念を持っているといことです(信念が遺伝子を創っているためです)。
共通の信念や意識を持っているということは、お互いをよく理解できわかりあえるということであり、つまり同じであるという感覚が強く、それが愛を感じさせるのです。
分離=>愛から離れる
結合=>愛に近づく
だから、家族には特別な感情を抱くのです。
友人でも気の合う友人というのは考え方や価値観が似ていると愛情を感じやすいですよね。
同じ宗教だと結束が固いのも同じ理由です。
簡単に言えば、
「同じ信念や意識を持っていると愛情を感じやすい」
ということです。
ですが、これは無条件ではなく、条件付きの愛です。
なぜなら、同じ遺伝子だと愛するということだからです。
遺伝子に関係なく、どんな人も、人でないすべても、何もかもを愛するなら、それは無条件の愛ということになります。
ですが、「無条件の愛を抱かなければならない」と言っているわけではないです。
宗教指導者ならそう言うかもしれませんが(笑)。
もともと、信念を何も持っていなければ、無条件の愛の状態です。
つまり、すべてがひとつであり、すべてを受けれいています。
この世界では、その状態から離れて条件付きの愛を経験しているという見方もできるからです。
ですから、この世界にいる理由は別に無条件の愛の経験でなくてもよいと思います。
人それぞれ。だから強制する必要もないのです。単に選択肢のひとつです。
ただ、無条件の愛を感じることはとても心地よく嬉しいのです。
ですから、私は無条件の愛を選択したいですね。
無条件の愛とは愛情とは違います。すべてを受け入れていることです。
すべてを受け入れることははとても気持ちがよいのです。
つまり、喜びなのです。