信じるか信じないかの選択
10月 2nd, 2011 by Atom
今日、朝ウォーキングをしていた時に気づいたというか考えたことです。
例えば、
バシャールやらエンジェルやら神様やらそういった存在が語ったとされるメッセージなどに対して、人はいろいろな反応を示します。
「確かにその通りだ」
「それも有り得るかもしれない」
「わからない」
「部分的にはそうかもしれない」
「ちょっと疑わしい」
「かなり嘘っぽい」
「たぶん、インチキだろう」
「これはジョークだ」
「絶対、真実ではない」
このような判断をするためには
”何らかの信念や考え方”
を正しいと思っているはずです。
例えば、
「宇宙人や天使や神など存在しない」
と100%信じている人にとって、そもそもバシャールやらエンジェルやら神様の存在自体がインチキですから、言葉も嘘っぱちに過ぎないという理屈になります。
これは正しいです。その人の見方からすれば。
誰でも「宇宙人や天使や神など存在しない」と思っていれば、そのように判断するということです。
この場合、「宇宙人や天使や神など存在しない」という信念が変わってしまうと、別の判断をします。
例えば、
「宇宙人や天使や神など存在するかもしれない」
と信じていると
バシャールやらエンジェルやら神様の言葉は「本当かもしれない」、「わからない」と思ったりするわけです。
何が言いたいかとういと、”何”を信じるか信じないかが判断の基準を決めているということです。
そしてそれは選択です。
個人個人の違いは選択の違い、つまり選択する基準である信念の違いであるということです。
これはアバターの教えている基本的な考え方です。もちろんアバター以外でもいろいろなところで語られています。
自分が何かを判断している時、そのベースに何らかの自分の考え方があることに気づき、それが何かを知ることで、自分が単に反応していることに気づくと思います。
生まれた時の条件判断は基本的に遺伝子に組み込まれてものだけです。成長し外部と反応することで、だんだんと信念が増えていき、
「私はここで生きている」
という信念をベースにたくさんの信念を創造していきます。
遺伝子以外はほとんど後天的に創造したもので、親や教育などがその創造に大きく関わっています。
あまりにもたくさんの信念を組み込まれると、自分で選択しないようになります。
するとコントロールされていると思うかもしれません。
ですが自分がそれに気づき、新たに選択しなおせば、コントロールも解けます。
大事なことは
「どんなことでも信じるか信じないかを決めるのは自分自身」
であり、それが自由にできるのだということに気づくことです。