今回はいじめについての観点を書きます。今日見たフジテレビの報道2001で取り上げていたし、今日見た読売新聞にも記事が載っていたのです。これは偶然じゃないし、自分はどう感じているかを書いてみようかなと思いました。いじめについて自分の子供時代を振り返ると私は「いじめた」し「いじめられた」の両方を経験しています。ではまずいじめる側からの観点で感じてみます。
なぜいじめる?。「いじめるのが楽しい感じがする」、「いじめるとすっきりする感じがする」、「なんとなくいじめたい感じがする」、「いじめる相手が苦しむのが心地よい感じ」。これらに共通するのは
「いじめるのが喜び」
とうことです。これが理由です。だからこのように感じている限り、いじめはなくなりません。人間は誰しも喜びを求めているからです。
ではいじめられる側の観点から感情を見ていきます。「悲しい感じ」、「つらい感じ」、「この世からいなくなりたい感じ」、「さびしい感じ」、「いじめる相手を恨む感じ」、「いじめる相手を同じ目にあわせてやりたい感じ」。これらに共通するのは
「いじめられるのは苦しみ」です。ここから「いじめられたくない」、「いじめた相手を苦しめたい」とうい感情がでてきます。
このような状況を踏まえて時間の経過と共にどうなっていくかですがまずいじめられた側は「いじめるのが喜び」でなくなるまでいじめることを続けるでしょう。ここでは喜びなのですからポジティブプラスのエネルギーです。しかし、いじめを続けて経験しつくすと喜びではなくなるためいじめなくなります。そしていつか「いじめられた相手からの恨みの感情」や「いじめに対する世間の感情」や「本人自身の罪悪感」に気づくことになっていきます。すると今まで感じなかったマイナスのエネルギーを感じるようになります。いつしか後悔の気持ちがでててきます。この時、いじめる側の視点からではなくいじめられる側の視点に立つことができます。マイナスのエネルギーをプラスにするため「謝罪」をするのがよいと思います。いじめた相手に心から謝り赦しをもらうのです。もし赦されたらマイナスのエネルギーは中和していくでしょう。そしてその結果、いじめた人の意識が拡大していきます。
ではいじめられた側はどうでしょうか。いじめられる苦しみをとことん味わっていくことはつらいことです。ネガティブなマイナスのエネルギーがどんどん増えていきます。場合によっては精神的な病になってしまうかもしれません。マイナスのエネルギーのバランスをとるための方法はプラスのエネルギーで中和してくしかありません。親や兄妹などの支え、友人からの励まし、先生からの応援などもあったほうがいいでしょうが本人がいじめられる苦しみをどうしていきたいのかが最も大事です。いじめられたことを苦しんでいるだけではその苦しみはなくりません。このいじめられている経験をどうしていきたいのかをきちっと自分の中で決めていくことが必要です。もしいじめられたくないなら、「私はいじめられない、喜びの人生を生きる」ということを宣言して、それを自分の目標とします。「自分で決めること」「周りからのサポート」によりプラスのエネルギーが増えていきます。これを続けていくと、マイナスのエネルギーが中和されていきます。決意した瞬間から少しづつ周りの状況は変化していくと思います。いつの間にかいじめはなくなっているかもしれません。いじめがなくなったとき、その当時の「いじめた相手をいじめてやりたい」というマイナスの感情についてはいじめた相手を赦すことにより中和されるでしょう。もし恨みを持っているとそれはマイナスエネルギーとして残ったままとなります。赦すか赦さないかは本人次第ですがいずれは中和するような経験をすると思います。
「いじめる側」、「いじめられる側」どちらの視点に立っても感情のエネルギーはいずれ中和に向かいます。場合によっては何十年もしかしたら来世へ持ち越しするかもしれませんが。でもいじめ問題を早く解決したいという願いが強ければ強いほど、解決は速まると思います。この解決への「強い思い」、「強い決意」、「強い行動」が大事でしょう。
ひとりひとりの人間はすべて素晴らしい可能性を持っています。全ての人の中に
「素晴らしい自分」
「卑しく汚い自分」
「愛情あふれる自分」
「憎しみにまみれた自分」
「優しく人に奉仕できる自分」
「自分勝手で他人を恨む自分」
など
私達はたくさんの感情を持っています。それらをすべて経験するために私達はここにいます。経験するから気持ちがわかり、すべてを受け入れることができるようになるのだと思います。神様がいたとしてら差別などはしないでしょう。誰でも受け入れると思います。私達のしていることは神様に近づこうとしているようにも見えてきます(^^)。