書いているのは8/15ですが、公開するのは8/16になります。
さて、田舎は秋田県です。
父も母も秋田出身で子供の頃は毎年のようにお盆に帰省していました。
今回は数十年ぶりにお盆のお墓参りをしました。
実はとても大きな意味があるのだと思ったからです。
このところ気になっていたというか気づきだしたことがあるのですが、それは遺伝的なつながりについてです。
家族は遺伝子がとても似ていますから見た目や性格なども似ます。さらに、一緒に住み生活を共にすることでさらに似てきます。
まさに物理的な自分の分身です。
祖先から私達は引き継いでいるわけですが、遺伝には物理レベルと意識レベルのものがあります。
物理レベルはいわゆる見かけとか性格的なものです。意識レベルは信念とかこだわりの部分です。
だから、より大きな目で見れば、血縁家族はチームであり、意識が信念やこだわりを糧として創り出しているものです。
この信念ゲームはとても複雑になっています。ネガティブな葛藤もあり、ポジティブな喜びもあり、まさに経験の渦のようです。
さて、この家族レベルでの意識の反映であるこの経験はどのような意図でどこに向かおうとしているのでしょう?
それは家族のひとりひとりが決めることですが、私はこう思っています。
私から見ればこの世界は私の創造したものです。私の創造の反映です。私は意識レベルを高くしたいつまり波動を高くしたいと思っています。
これは今まで創り出してきた信念を経験尽くしたり手放して、その創造の経験を終わらせることです。
いわゆるアセンションとうことでしょうか(この考え方のさらに別のレベルの気づきがありましたが、また後で言及します)。
今回、お墓参りをすることで、自分の意識が変化し、自分が変わり、それで過去のご先祖様や未来に続く、意識へ影響を及ぼすことができると思っています。
これは意識はひとつですから、当たり前でもあるのですが、これを実践しようと思ったのは今回だったのです。
ですから、お墓参りに行こうと思いました。
また、父親がある程度高齢になりましたし、父の兄姉に父と会わせたいという思いもありました。
実は父方の方の兄姉やその子供達などは病気など体調が思わしくない人が多いのです。
遺伝子的レベル意識レベルでまさに似ています。
一方、母方の方ですがやはり遺伝子レベル、意識レベルで似ています。
身体的には健康である人が多いです。まあ、父方より年齢が少し若いというのもあるのですが。
また考え方が合理的で、私の考え方や思いとも近い感じです。
ですから、好みで言えば、母方の方が好きなのです。
ただ、父方の方を受け入れていないことではないのです。
どちらも受け入れています。
田舎ですからそこいら中が親戚だったりするのですが、この田舎ではさらに先程のように部落としての信念体系がありそれがきずなを深くしています。
ただ最近では核家族化や少子化が進んでいるのでこの信念体系も昔ほど強固ではありません。
気づき3へ続きます。