なぜという疑問を持つこと
8月 13th, 2010 by Atom
昨今、思考力の低下が叫ばれています。
物事を論理的ににわかりやすく説明する力が欠けているのです。
それは若い人に顕著な傾向がありますが、そうでない世代にもその傾向が広がっているように思います。
これはなぜなのでしょうか?
私は物事を論理的に思考する経験が少なくなっているからだと思います。
例えば、今なら何かを調べようとする時にインターネットで調べることが多いはずです。すぐに答えが見つかり便利です。
しかし、パソコンやインターネットがない時代は人に聞いたり、本を読んだり、時間をかけて調べました。このプロセスの間にいろいろな試行錯誤があるのです。
では論理的な思考力を養うにはどうしたらいいかというと、物事を深く考える、突き詰めることを経験する機会を増やせばいいと思います。
例えば、本を読んで、その本に書いてあることを100文字以内で説明するとか、本で著者がもっとも言いたいことはないかとか、より本質を見極めるようにするのです。
これは結構大変で、頭がフル回転するはずです。この脳に負荷をかけることが大事で、これにより思考力が鍛えられます。
本質を掴むためのプロセスは疑問の連続です。
なぜなぜなぜ。
このなぜに、~だから。という答えがセットになってついてきて、それがわかるということにつながります。わかると面白くなるのでますます、深く深くなぜが続きます。
なぜという疑問を持つことは学ぶことであり、学んでわかることは楽しいことです。
私は勉強は楽しいことだと思います。それはわからないことがわかるようになるからです。
勉強は学生時代だけするものではなく、大人になって、死ぬまで続けるものだと思います。
何かやりたいことがあってもすぐにはできません。そこには学びが必要です。学んだ学んで、その道の達人と言われ、世界一になっても学びは終わりません。
ライバルは自分自身です。昨日の自分より、今日の自分が、今日の自分より明日の自分が、少しでも前に進んでいること、これが成長です。
成長は楽しいことであり、経験は成長の糧になります。