存在しないことへの恐怖
7月 21st, 2010 by Atom
「私がいる」
これがまさに意識が生まれた時のプライマリーかと思います。
自分の存在を意識することです。
私の中には自分が存在したいという欲求があります。本能と言ってもいいでしょう。そして、存在しないことへの恐怖があります。この現世なら死にたくないという抵抗です。
自分が存在しないことは可能でしょうか?
可能だと思います。意識しなければたぶん、存在しないのです。ただ、それは意識しないという「何か」があるということでもあります。この「何か」は限定できないものです。誰でもないし、何ものでもない。ハリーがいう無限定の気づきや仏教で言われる無と呼ばれるものかもしれません。
さてもし、自分がいるということを消してしまったらどうなるのでしょう?
たぶん、自分とうい存在は消えますが自分でない何かになっていると思います。というのはここでいう自分とは幻のようなもので、仮の姿だからです。
では本来の自分とは何かですが、もう自分という意識がなくなっているのだと思います。高次の自己とかハイヤーセルフやトータルセルフなどです。ただこれらも限定さている何かです。
存在しないことへの恐怖は自分という限定された意識だけが感じるものと感じます。そもそも感情さえも、限定されている何かなのですから。