ふと今朝考えたことです。
お金は欲しいもの、魅力あるもの、価値があるものと感じることが多いと思います。
ゴミは不要なもの、魅力ないもの、価値がないものと感じることが多いでしょう。
でもどちらもそこそこは所有していますね。
私は両方共似ているもののような感じがします。
価値があるものは誰もが欲しがるので手に入りにくくて不足感を感じますよね。価値がないものは誰もが欲しがらないので充足感(簡単に手に入るとうい意味で)があります。
お金をよく考えたら、ただの紙ですね。価値を与えているのは私達の価値観。ゴミはそこから家庭でも簡単にエネルギーを取り出して、電気に変えられ電気代が安く済むなら価値があるものになります(物理的にはすべての物質が電子と陽子から成り、同じものですから技術の発達で可能になるかと)。
つまり、価値観の反転はいつでも起きてもおかしくはないのです。常にその可能性を秘めています。
この前、ふと「価値破壊」という言葉が浮かびました。
価値が変化していき価値があるものが価値がなくなったり、価値がないものに価値が出たり、そのようなことがどんどん起きてくる?のかもしれません。
価値は堅固に思われるかもしれませんが一瞬で変わる可能性があり、そこに価値があると思うことは幻にとらわれているということになるかもしれません。
価値観を開放すると気持ちがよいのはそれが本来の姿だからでしょうね。