昨日はコーチングの勉強会でした。その中で、出てきた言葉です。
以前も書いたと思いますが人は誰でも
「肯定的な意図」
を持っています。その人なりに自分にとって肯定的な意図を持ち、行動しているということです。
例えば、人を殺める人がいます。無邪気な子供が殺されたら、普通は、なんとひどいことだと思うでしょうしそれが許されないことだと思うでしょう。
でも人を殺めた人にもその人の中で肯定的な意図があって人を殺めたということです。これは本人でないとわからないということも多いでしょう。
理由がむしゃくしゃして人を殺してしまったのだとします。それは本人にとっては人を殺めても仕方がないという理由なのです。
こういう事件が起こった時、人はいろいろな感情を持ちます。怒り、悲しみ、憎しみ、恐怖…。ほとんどがネガティブなものかもしれません。
でも見方を変えると、このような殺人を犯す人の意図は自分の中にも存在するとも言えます。
自分が人を殺めてはいないが、それを第三者を通して、間接的に自分の意図を表現しているということです。
多くの人はむしゃくしゃしても人を殺すようなことはしないでしょう。お酒を飲んだり、友人に話したり、なんらかの別の方法でそのストレスを発散するからです。
でもむしゃくしゃした時に発している人の波動は他の人にも影響を与えます。それは世の中の雰囲気という形で、現れてくるのです。
もし世の中が和やかな感じなら、むしゃくしゃしても人を殺めるという気持ちにはならなかったかもしれません。
自分にできることは人を殺めた人を否定するのではなく、受け入れ、自分の中にある同じような意図に気づき、それを許すことかと思います。