備忘録9(恐怖について)
2月 22nd, 2010 by Atom
恐怖と愛について。
いろいろな見方ができるが、私は以下のように定義をしたいと思います。
「愛は感じたくなるもの」
「恐怖は感じたくないもの」
人の感情は大まかに言えばこの2つしかない。「感じたいか、感じたくないか」。
私達の感情は引っ切り無しに反応をする。
嫌いな人に会う→嫌な感じ=>感じたくない感情
キレイな子を見た→嬉しい感じ=>感じたい感情
仕事が面倒くさい→嫌な感じ=>感じたくない感情
面白いTVを見た→嬉しい感じ=>感じたい感情
まだ眠むたりない→嫌な感じ=>感じたくない感情
で意識が感情に引っ張られると意識が感情に振り回されて、混乱する。特に嫌な感情の場合、それを何とかしようとして嫌な感情を吐き出そうとする。
「私はあなたが大嫌い」と言われたらつい感情的になって「俺だってお前が嫌いだ」と言ってしまう。この時、意志は感情の暴走を止められず、ただついていく感じ。
ただ「感じたくない」と感じても、「感じたい」と感じても私達の感情というセンサーが反応したことには変わりがない。センサーが反応するということは意識がそこにフォーカスしたことになる。
センサーが反応したから、意識はそこに向かう。それでその後どう対応するかが非常に大事なこととなる。
感情をどう扱うかということは人生において自分をよりよく生きる(何がよいかという価値観は多様ですが)ための手段として有効なものとなる。
「感じたい感情」と「感じたくない感情」これは感情というセンサーであり、これを決めているものは「信念」ということになる。アバターなどではこの信念をかえることを学ぶ。これは感情をきちんとコントロールするためのツールでもある。
この信念を決めているのは意識である。意識には大きく、個人的な意識と集合的な意識があり、個人的な意識にも自分が気づいているものと気づいていないものがある。
では意識を知るにはどうしたらいいか。これは自分に問いかけたり、経験を通して気づくということから知ることができる。深く深く自分を見つめていくことになる。
生きるということは
「感じながら意識という未知なるものを既知にしていく旅」
なのかもしれない。
で実際誰もが意識しているかどうか別にしてこれをしている。