キャンパスのようなところにいる。グループで何かゲームのようなものをやっている。私もその中にいるのだが一人ぼっちの感じ。実際にゲームで二人一組で走ったりしているが、私は何もしないで見ているだけだった。やがてゲームが終わり、皆が散らばっていった。場面は変わり、食事の時間か何かだろうか。私はやはりひとりでそこにいて、食事をしようとしている感じがする。
この夢で象徴的なのは自分がひとりでいるというところです。元々子供の頃を思うと、自分勝手でわがままでした。比較的体が大きく何かと言うと力づくだったような気がします。そしてあまり人と馴染めないほうでした。小学校高学年ぐらいになるとシャイな性格で人としっかり向きあうことができていませんでした。こういう性格というか特徴は20代後半から30代前半まで多かれ少なかれ引きずっといたかと思います。こういう夢を見るということは今でもそういう部分があるのかなと思います。
実はこれは私の家系的なものつまり遺伝的なものです。父親の性格が非常に似ています。人の輪の中に入り込めず、表面的な人間関係しかできないのです。また人前と家族の前では態度がまるで違います(これは大抵の人がそうかもしれませんが)。
性格や特質は遺伝的なものが多く含まれます。しかし、それだけではなく、後天的な環境も加味され性格や性質などの骨格となります。もし、遺伝的な性質があり、それを変えたいと思ったら、それは変えることは可能です。しかし、それは大きな挑戦でもあります。なぜなら簡単ではないことも多いからです。ただ変えることができたら、人生そのものが大きく変わります。
今の自分はだいぶ変わりました。以前は人前が好きではなかったし、特定の人ばかりとつきあっていました。自分が心地よいと感じる人の範囲が狭かったのです。今はどうかというともちろん、自分と似ている人にはひかれるのですが、自分が出会う人、ひとりひとりが素晴らしい、輝いている存在だということを感じます。もちろん100%感じるわけではないです。でもそんな時、自分が価値判断しているに過ぎないのだということに気づきます。人がどのように見えるのかで自分が変わるのです。
私達が今目にする人の外見や性格はその人の本当の姿ではないのです。本当の姿が知覚できたら、誰もが素晴らしいと感じることでしょう。でもどんな姿や性格でも受け入れることができるようになれればそれは大きな喜びになります。決して「そうしなくてはいけない」ということではなく、感じるか感じないかだけです。ただ知識として知っているといつか感じた時にあ、これがそうなんだと気づくかもしれません。
「今の自分を受け入れ、感謝し、そして新しい自分を創造し喜びを創造していく」
こんな感じです。