久しぶりに怒りを外に出してしまいました。
イベントがあり、その時に駐車するスペースを確保するのが早い者勝ちとなっていたのですが早めに行ったらまだ入れないため駐車場の前ではなく脇のほうで待っていました。なぜかというと駐車場の前に止めると他の駐車しない車が通る道幅が狭くなるため邪魔になるからです。私の後にも何台か駐車するために車が来ましたが私の後ろに並びました。
しかし、後から来た何台かの車が駐車場の前に車を止めたのです。少し傍観していたのですが私の後ろに並んだ年配の女性がその前に止めた車の運転手に文句を言いに行ったのです。私は止せばいいのに一緒に後からついていきました。女性は案の定、私達が先に来ていたのにということでその運転手に文句を言っていました。すると私の中からも怒りの感情が沸き出てきて、同じように文句を言ってしまいました。ちょっと言い争いになっている時、イベントの関係者が来たのですがイベントの関係者に対しても怒りの感情が沸いてきました。
「駐車を早い者勝ちにするとこのように争いになることがあるのであらかじめ順番を決めて欲しい」
「駐車でこのような争いにならないように誘導する人を駐車場に配置して欲しい」
このような思いがあったからです。
結局、主催者側が、駐車場を今すぐあけますと言って、前にに並んだ人が先に駐車をして、先に来ていたにもかかわらず、後から駐車することになりました。ちょっと理不尽な感じがして怒りの感情がしばらくありました。
しかし、その後、後悔の感情が沸きあがってきました。なんでこのような些細なことで怒りを感じてしまったんだろうと。
「自分が尊重されなかった。自分が正しいのにそれを認めてもらえなかった」
ということが辛くてそれを怒りで発散しようとしたのでしょう。
自分の正しさを相手に押し付けたかったのです。久しぶりにこの感情を強く感じました。でもこのような感情は消化しきれなくて、後に残るのがよく分かります。
怒りの矛先となってしまった相手に対してもすまない気持ちですし、なんとも嫌な感じなのです。
一番したいことは何なのかということが自分でその時に気づけたら、もっと冷静で的確な対応をしていたと思います。
ただ、この経験はまた大きな学びだとも感じます。今度同じような経験をした時には違った対応ができるからです。
ネガティブな感情はそれを十分味わい、昇華することで受け入れることで、大きな気づきや喜びが得られるものなのかと思います。まさに今、実践中です。