備忘録7(人に責められた時)
9月 17th, 2009 by Atom
人に責められることがある。そんな経験をしたので自分の感情や気づきなどを残しておく。
自分から見ると理不尽な理由で人から責められた時どう感じるか。
怒り、悲しみを感じる。そしてそのことがなんとなく気になってしまう。誰からも愛されたいのに愛されないつらさがある。
なぜ、このように感じてしまうのか。そこにどんな信念が隠れているのか。
人から愛されないと傷ついてしまう。これはすごく感じる。
自分が無価値であるという無価値感もある。
相手が自分の姿を見せてくれているとも感じる。つまり自分が誰かを責めている(妹、母、父など家族のことだろうと思う)。その責めている相手を思う時、申し訳ないと感じる。相手に対し愛を持って接していなかったと感じる。
この人は私から愛されたいのに愛されなかったため怒りを私に向けたのだというのがわかる。私は責められた相手に対し愛を持って接していなかった。その反映として相手から責められたのだ。元々なんとなくその相手といる空気感は居心地がお互いよくなかった。なぜ居心地が悪かったのかは自分ではよくわかっていなかったが。人と会う時なんとかく居心地が悪く感じる人がいると思う。そんな時、相手に対してなんらかの信念を持ち、価値判断しているはず。そしてそのために嫌な感情が沸いてきてしまう。私がしている価値判断。この人は何かと人に指示するのが好きな人で、言い方がちょっときつい感じ。相手によって態度が違う(誰でもこのように人によって態度は違うので特別ではないが)。自分が正しいことを主張し、人に押し付ける感じがする。以前、働いていたUさんと同じような感じ。怒りやすく冷めやすい。すぐ機嫌が悪くなるがすぐにその気持ちはおさまる。このようにいろいろな価値判断をしていた。相手も何らかの価値判断を私にしていたたはず。だからこそお互いに相手に嫌な感じを受けていたのだ。
ただこの人と会って同じ時間を共有したということは私が引き寄せたのは間違いない。実際に、このようにいろいろな気づきを得られるのだから。感謝すべき存在と言える。
<対処>
相手に愛を与えていなかった自分を許す。罪悪感の感情を洗い流していく。ホ・オポノポノのツールの「ごめんなさい」を対象となる相手(自分が責められた相手と責めた相手)に言う。気づきを与えてくれて「ありがとう」と気づきを与えてくれた人(自分が責められた相手と責めた相手)に言う。相手がにっこり笑っているイメージをしてみる。相手とハグしているイメージをしてみる。相手に私が愛していることを伝える。
<対処後>
私が相手をどう感じているかを感じる。怒りや悲しみはかなりなくなっている。いずれ完全に消える感じがする。もし残っているならまだ何らかの気づくべきものがあるのだろう。このブログを書き始まる前に別件でこの相手にお礼のメールをしたのだが相手から謝罪のメールが来た。まさにシンクロだろう。このメールを受け取り、もう、怒りや悲しみなどは消えた。私は相手に対し愛を感じる。
大きな感情の揺れを感じた時、その感情がどこから来ているのか、つまりなぜそう感じてしまったのかの信念を探っていくことは大きな気づきとなる。