定義することの危うさ
8月 17th, 2009 by Atom
私達人間は言葉によって自分の感情や思考を伝えることができます。しかし、あまりにも言葉に頼ってしまうと返って、うまく伝えられないこともあります。
例えば言葉の定義についてですが、人によって言葉に対する定義や印象が異なります。もちろん辞書に書いてあるのですが、それ自体も所詮、言葉の羅列に過ぎません。例えば「愛」という言葉ですが、これを定義しようとすると非常に難しいことがわかります。これは何が問題かというと、言葉で定義しようとすることが問題なのです。
愛という言葉は漢字を書けなくても、子供は愛があるかどうかを感じることで理解できます。愛を理解するのに言葉はかえって邪魔になるのです。
もちろん言葉を定義することなしに、コミュニケーションをすることは不可能なので定義自体を否定するつもりはありません。ですが、言葉に頼りすぎると本質を見失ってしまう恐れがあることに気づいてるほうがいいかと思います。特に波動が高いこと言葉についてはそうです。実際、波動が高い言葉を定義する必要はありません。感じるだけで理解できるからです。
私達にとって価値があるものほど、言葉に定義することができないということがわかります。言葉により社会や文化や経済などは発展してきました。しかし、人間にとってもっとも価値があると信じるものは変化がありません。この信念こそが人間を人間らしくさせるものなのかもしれません。