私は宗教もやっていないし、ましてはキリスト教やイエス・キリストについての知識などありません。ですがキリストという言葉の持つ大きさを感じますし、イエス・キリストの語ったとされる言葉に感銘を受けたりします。
イエス・キリストの言葉は波動が高いです。
「汝の敵を愛せよ」
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」
「求めなさい。そうすれば与えられるであろう」
「明日のことは、明日思い煩えばよい」
これらの言葉をどう感じますか。~教という感じで名札を付けて、ありがたいものだという風に権威という肩書きを付けてしまうとちょっと距離感を感じてしまうかもしれませんが、これは私達の本質を貫いた言葉です。私ならこれらの言葉を以下のように表します。
「すべてのものをありのままに受け入れることは大きな喜びです」
「喜び、祈り、感謝はすべて波動が高いものです」
「何かを手に入れたいなら意図すればいいだけです」
「今を生きるだけでOKです」
私はキリスト関係の書籍はほとんど読んだことがありませんし、興味もないです。ただ私達の心の中にはキリストが語った言葉を理解し、心が感銘する意識があります。だからこそ、2000年以上前に語られたとするこの言葉が今でも私達の心に響くのです。
これらの言葉を教えとして広めることは一見、素晴らしく思えます。キリスト教をはじめとする宗教家の人達は自分達の教えこそ最高で、これを誰もが理解し、実践すればこの世界は素晴らしいものになると信じているかもしれません。ただ実際に歴史を見るとわかるようにこの試みは成功していないように思えます。また今のような世界をイエス・キリストも望んではいないのではなかかと思います。
大事なことはイエス・キリストの心の中の世界。つまりイエス・キリストが感じたように感じれるかどうかです。もし誰もが彼のように感じれるなら、この世界は一瞬で変化してしまうでしょうね。それぐらい意識が気づくかどうかというのは大きいことなのです。私も日々の気づきを大事にしたいと思います。