生老病死(しょうろうびょうし)
5月 12th, 2009 by Atom
釈迦が言った言葉で「生まれること、老いること、病気になること、死ぬことはすべて苦しい」ということです。日々生きている中でこう思ったことがあるという人が多いのではないでしょうか。今回はこの 「生老病死」について考えてみます。生きていて常に悩みが全くないという人はまれかと思います。お金のこと、人間関係のこと、仕事のこと、学校のこと、その他いろいろなことで悩みは出てきます。その悩みの原因はどこかというと、それは自分の中にあります。自分で作り出しているのです。では「重い病気で苦しんでいるのを楽にすることができるか」というとそれは「そうすればできる」という答えになります。その瞬間に痛みがあるならそこに意識がいくため、その状態からすぐに抜け出すのは大変かもしれません。しかし、どんな病気でも落ち着いている状態があります。その時に「私はつらい、苦しい」ということを感じているはずです。痛みがある瞬間には苦しい、つらいなどと感じているよりは痛みと一体になっているのです。「私はつらい、苦しい」と感じている意識状態では今は痛くはないけど、またあの痛みを経験しなくてはならないと、未来を予想したり、過去を回想して苦しいのです。つまり自分が今にないのです。健康な人でも「私はいつか死ぬんだ」と未来に死んでしまうと悲観してしまうと苦しいものです。これは「生老病死」すべてに言えます。ただ無理に考え方を変えて、苦しみから抜け出すほうがいいというわけでもありません。苦しむことも経験の1つであるからです。これを経験してもかまわないのです。つまり選択に過ぎません。私達は「生老病死」について意識を向けることつまり選択することで苦しみを作り出しているのです。意識を向けなれば苦しみは生じなくなります。ただそんなに簡単ではないですね。お釈迦様や過去の聖人などがどうすれば苦から逃れられるかを目指していました。その結果のひとつが「悟りの境地」と言われるものではないかと思います。「悟る」ということは「心の底から知る」ということで知ることにより安心が得られるということでしょう。