ふと気づいたことです。プロセス自体が目的なのかもしれないと。どういうことかと言うと、例えば目標が優勝することである野球選手が努力してやっとそれが叶ったとします。もちろん目標を達成して大きな喜びの感情を味わうことができます。たたそこまでのプロセスは「なんなのか」ということです。もし魔法が使えたらこのプロセスを通らずに優勝の喜びだけを味わうこともできるはずです。しかし実際にできるとしても後者を選ぶでしょうか。満足するでしょうか。実はプロセス自体が非常に意味のあることだということが感覚としてわかります。もっと細かく言えば目標へと向かう一瞬一瞬が非常に意味があり、素晴らしいものなのです。こう考えると目標に向かってそれを達成するプロセス自身も含め、意味があり、喜びなのです。
「目標に向かう時はつらいが達成することが喜びである」⇒「目標に向かうプロセスと目標達成は共に喜びである」
これって「生きることが喜びそのもの」ってことになります。