第九章 支点
ハトホル
「本章ではみなさんの進化と成長を加速させるのに人類史上もっとも折りよい機会のひとつである時期について述べたいと思います。それはこの次元においてものごとの発生がスピードアップしているため、前にもお話ししましたがより短い「時計時間」の中でより多くの気づきを体験するようになることと関係しています。このことは激しい感情反応ないし反動を生んでおり今後もそういう状況が続くでしょう。このきわめて強烈な時期にあなたが体験している感情や感覚は高次意識への現代版イニシエーションとも言えるものです。それは喜ぶべきであって回避すべきではありません。今日ではかつて古代エジプトにおいて求められたように様々な訓練やイニシエーションを受けるために神秘学派に入門する必要はないのです。中略。私達は本章を支点と名付けますがそれは支点という比喩が三次元における意識というものを理解する上でふさわしい例だと思われるからです。ここでいう支点とは公園でよく見かけるシーソーの支点のようなものです。二人の子供がシーソーの板の両端にまたがり、その板は真ん中で支えられています(支点)。子供達は代わりばんこに上下します。片端が上がればその反動でもう片端(と子供)が下にさがります。支点とはそのシーソー板の回転軸であり動きがあれば支点に極の力(上下運動)がかかります。これは意識そのものを表す見事な比喩であると言えましょう。意識が非二次元的な静止点から二元性へと移行すると正反対の力が作用しはじめます。シーソーと同じように両極を有する世界においては何かが上昇すれば別の何かが下降するといった動きが起こるのです。あなたは地球の人間としての現生活で数々の多次元的な力、すなわち肉体、思考、感情、文化、社会、精神、地球の力などといった諸力の目覚ましい加速を体験しており、しかもそれらの多くが同時に進行しているのです。人であるあなたの支点とはそうした多次元的な力が現在という時点においてつながりあうところです。シーソーをしたことのある人なら、シーソー板が地面と平行になって運動が停止することがるのをご存じでしょう。それは完璧に二元性のバランスがつりあって瞬間であり、支点においても摩擦や活動が中立となる瞬間なのです。そかし再び二元性の動きが起こり、シーソーの両端が上下運動を始めると、支点は摩擦や活動の増加を体験することになります。人であるあなたは感情や感覚という性質によりプレッシャーの増加として摩擦を体験します。そたがって現在、ものごとの発生が激化するにつれ、あなたの感情も激しさの度合いを増すことになるのです。そうした感情の激化が起きる付近こそ、あなたの支点、すなわち加速された魂の進化と高次の気づきにいたる「イニシエーションの入口」なのです。あなたの支点は、どの瞬間においても肉体というもっとも聖なる神殿の内部に体験されます。自分の体験にどう向き合うかはあくまであなた個人の選択によるものです。しかしあなたが自分の命や地球を神聖なる空間と見なすことができなければ、非難や不信や逃避の方向を目指すことになります。人生での「今ここ」を回避する方法はいくつもあります。しかし、もしあなたが自分の人生に起きる出来事や体験がイニシエーションの過程であるという理解に達するなら自分に何が起ころうとどんな困難に直面しようとそれを神聖なものと受けとめることができるでしょう。中略。まさに今この瞬間にもあなたは意識という山を登るためにどんなものであれ自分の体験を足場にしているのです。私達の見るところでは自らのエネルギーの統御(とうぎょ)という課題が補足すべき要素として存在しています。あなたもおそらくお気づきのように自分の感情反応が激烈であったり次々と圧倒されるようなことが起きてくるときには効果的に向き合えなかったりうまく対処してよい選択をすることができなかったりあるいは意識の変容のための燃料としてうまく活用できなかったりします。人は強烈に打ちのめされたり途方に暮れたり気づきのない状態に陥った場合に成り行きまかせになるか、眠るか、やみくもに働くか、そうでなければ麻薬や暴飲暴食やお酒によってすべてを忘れようとすることで現在という時点(そうした体験の支点)での自覚を避けようとするのを私達はしばしば目にします。瞑想も場合によっては巧妙な回避の手段になることがあります。私達がここで分かち合おうとしている方法はあなたが自分のエネルギーを統御(とうぎょ)したい時にしれを手助けするものです。中略。支点のたとえをさらに掘り下げていくと、一見自分の外側で起きているかに見える出来事は実際のところあなたが内側に反応を生み出すきっかけで触媒にすぎません。出来事そのものは本質的に空です。それは引き金であり、あなたの意識の中に何らかの反応を引き起こす原因となるのです。人は人生というイニシエーションの過程を通過しながら、しばしば困難として立ちはだかる無数のものごとに感覚的・感情的に反応します。それは人であることの本性です。もしそうした感覚・感情反応を自覚しつつそれを自己への思いやりをもって体験し、愛によって自身の内側を見つめるなら、あなたの苦しみを作りだしている二極性をそこに認めることができるでしょう。その二極はあなたの意識の最も深いレベルにある進展と選択に支配されているのです。中略。おわかりかと思いますがバランスのとれた意識を維持するには高次の意識に行けば行くほど、一方ではそれだけ深く掘り下げる必要があるのです。もし自分の無意識を含む隠された深みのバランスをとらずに高次意識へと上りすぎると潜在的に危険なアンバランスに陥ることになります。なぜかと言うと自分の地下世界にあるきわめて重要な部分、すなわち怒り、憎しみ、嫉妬、激情、幻想、死後への期待などといった未進化な側面を自覚しないまま行動することになるからです。あなたが気づかないようにしているそれらのものは人としての本性の一部です。人であるあなたのなすべきことはこの次元における体験の全レベルを統合し、癒すことなのです。癒される必要のある体験は一つにはあなたが暗闇と呼び、私達が気づきのない状態と呼ぶものに関連しています。暗闇とは気づきのない状態です。私達の目から見た進化という仕事は気づきがすべてを包容し、あなたという存在のすべてと一体化するまで気づきを広げていくことなのです。現在、地球で繰り広げられているプロセスや状況や事件は地下世界に棲まうそうした感覚・感情や信念を活性化させるに充分なほど強烈な性質のものです。体験の支点、すなわち刻一刻の日常体験の強烈さはまさに自己の深奥(しんおう)への気づきと理解に向かうイニシエーションの入口なのです。あなたの意識は自分という存在の悪魔的領域である暗闇と天使的領域である光の両方を含んでいるためにこの仕事をしていく大きな能力が本来備わっていることを疑わないでください。二つの対極を慈しみと自覚と愛のもとに抱くということはそれらのバランスをとり、気づきの力と光を通して暗闇を癒すことになります。これが私達の考える、この次元における進化の仕事です。地球はその気づき、波動、意識において進化しつつあり、より高次のレベルへと上昇しつつあり、したがって地球の朋友(ほうゆう)であるあなたがた人類もまたそうなのです。中略。」
中略。
ヴァージニア
「するとあなた方自身、感情という資質の統御(とうぎょ)を体験されそれによってアセンションを達成し信任を得たのですね。」
ハトホル
「そうです。それで愛と音のマスターと見なされ、信頼されるまでになったのです。私達が愛のマスターである理由は私達が感情体のバランスを達成し、「大いなる神秘」の中に自らを安定させることができるようになったからです。人類が生み出す感情の中で、愛はもっとも高次で整合性のあるものですから、すべての人が愛の中に自らを安定させ、愛によって感情のバランスととるという潜在的な可能性を秘めているのです。愛は人の感情体における強力な焦点でありバランス点です。今、地球に起こっていることは何かと言えば、何十億人もの人の様々な想念型や信念や見解から発した無数の感情がとことん上演しつくされているのです。このことがあらゆるタイプの感情反応を生み出しています。そのような状態であっても、人類が愛を目指して進化し、そべての意識レベルでたえず愛の感情を体験するようになることは可能です。私達はすでにそれを達成しており、あなたがたと協調しているのもそのためなのです。そして宇宙のあらゆる領域から来ている数多くの存在があなたがたを見守っているのも、同じ理由からです。中には感覚や感情をもたない存在もいますがそれでも人類の状況や感情反応を見つめることはできます。彼らにしてみれば感情があるというのはうらやましいことなのです。彼らには感情がありませんから。ところが何とも面白いことに彼らが欲しがっている感情というものを人類の多くが避けて通っているのです。」
中略。
私にとってこの章の話は非常に気づきを得ることができ、読んでいて体に寒気が走りました。人の中に悪魔と天使がいてそのバランスをとり悪魔の部分を癒すことが進化となる。そのために感情の統御(とうぎょ)すなわちリーダシップということで自分の感情をうまく指揮することによりバランスのとり進むべき方向へ導いていくということなのでしょう。どんな問題も愛により解決するのが一番良い方法なのでしょうね。キリストや仏陀やその他の先人、そして天使などすべての高次の存在がやっているのも同じなのかと思います。