第二章 エネルギー体としての人間ハトホル
「あなたがたの兄であり姉でもある私達はこことは別のあなたがたが四次元と呼ぶ周波数の領域に住んでいます。そのためにあなたがたに対する見え方やとらえ方も違っています。私達はあなたがたとは異なるエネルギーの状態を介して見ているからです。私達にはあなたがたの姿はいくつも重なり合ったエネルギー場として認識できます。そうしたあなたがたのエネルギー場のうち一番明らかなのは肉体と呼ばれるものでそれは肉体の空間をうずめる無数の細胞の中に広がる種々の化学的、生化学的、あるいは電気的プロセスをも含んでいます。しかし私達があなたがたを見る時にはほとんど空間としか見えません。その肉体はまるで星々から成る銀河のようです。各原子は中心太陽のような核とその周囲をまわる惑星のような電子を持ち太陽系にそっくりです。古代エジプトの伝統から排出した神秘学の錬金術師達はいみじくもこう語っています。「上に在るがごとく、下もかく在り」。これはどんな創造のレベルをみてもそれぞれの上位に下位のレベルを繰り返し複製しているという意味です。かくして太陽系では中心太陽の周囲を諸惑星がまわり原子においては中心核のまわりを電子がまわっているのです。あなたがたの太陽系のほとんどが空間で占められているのと同様にあなた自身もそうなのです。中略。私達はあなたがたを文字通り人の姿をした星々の銀河として見ているのです。一つ目のエネルギー場である肉体はたとえあなたがたには物質的で非常に密な個体に見えるとしてもエネルギーないし光の見地からは実際にきわめて異なって知覚されます。この物質的なエネルギー場と重なり合って存在しているのが二番目のエネルギー場、すなわち私達が「カー(Ka)」と呼んでいるものです。これはあなたがたの言葉の中では「プラーナ体」として登場することがあります。プラーナとは古代からの伝承を受け継ぐヨギ(ヨガの実践者)達が「酸素の中に存在する生命維持に不可欠な力であるが酸素と呼ばれるものとは異なる」と解いています。プラーナは広大な植物繁茂域や水流域において増強します。生命力であるプラーナは肉体と「カー」つまりプラーナ体の両方に浸透しています。この「カー」は実際に物質的エネルギー場の最初のレベルである肉体のすみずみにまでゆきわたっている生命力の源なのです。「カー」は肉体とそのエネルギー場の写しであることから霊的あるいはエーテル的なツインと呼ばれることもありますが写しは写しでもエネルギー状態がより精妙な写しであると言うことができましょう。古代エジプトの錬金術に造詣(ぞうけい)の深い人ならそこで使われる「カー」という言葉が不滅の魂とは違うものの、人の死後一時的にその肉体より長く生き続けることのできるエネルギー的ツインを意味していることをご存じでしょう。プラーナがあなたがたの肉体を駆けめぐって「カー」が増強されることがなければあなたがたは生き続けることはできません。これは生命力そのものの力にほかならないからです。そこで私達は実際に肉体という銀河を流れるプラーナを安定させる方法をいつくかあなたがたにお知らせしたいと考えています。こうした方法は生存と健康維持にきわめて重要であると言えましょう。あなたがたにはその他にも感情体、コーザル体、アストラル体などという精妙なエネルギー諸体がありますが「カー」の発達があなたがたの高次の意識への移行に大きく影響することからここでは主に「カー」に焦点をあてていくつもりです。中略。私達はあくまで自分たちの解釈から「カー」の発達と強化についてまたそれを減少させる事柄について述べています。もしあなたがアセンションへの旅を希望されるならできるだけ「カー」を強化しておく必要があるとういことです。中略。」中略ヴァージニア
「癒しのエネルギー、「カー」あるいは精妙な波動について他になにかありますか」
ハトホル
「もっとも高次の癒しは「すべてなるもの」という「源」からきたります。古代エジプト人が「ネター・ネテルー」と呼んだ二元性を超越する「一なるもの」、至高存在、至高神など、「すべてなるもの」は呼称こそまちまちですが個人のエネルギーを費やすよりもエネルギーの無限の蓄えであるその「源」からエネルギーをまわしてもらうほうが好ましいのは明らかでしょう。プラーナは物質と比較すればより精妙ですがもっとも精妙なエネルギーというわけではありません。「至高存在」のそれにさらに近いエネルギーも存在しておりそうしたエネルギーにはよりパワフルなヒーリング力があります。したがって人の波動が高次へと上昇すればそれだけ「源」に近づくことになり次第に精妙なエネルギーの入手が可能になるのです。ですからあなたがたが純粋になっていくにつれあなたのヒーリングの効果も強まります。」
中略
ヴァージニア
「現在、いわゆるヒーリングの世界ではこれまで論じてきたような高次の源からのものと思われるエネルギーを自分という存在を通して他へ注入するというパターンがきわめて多様に存在しています。中略。ヒーラーがエネルギーの使用に関する進化した高次の知識を自分自身で見出すにはどうすえばよいなか、何か方法はありますか。」
ハトホル
「ヒーラーの自己統御の能力が進化すればエネルギーを巧みに操作することでエネルギーの障碍物(しょうがいぶつ)を溶かしたり結晶化したパターンを解消することができるようになります。こうした熟達レベルは自然に養われるものです。しかし変化の必要を見てとることと変化を強いることの間には微妙な違いがあります。ヒーラーはそうした変化を起こすのに機が「熟して」いるかどうかを見極められなければなりません。つまるところ変化を起こすかどうかの選択はヒーラーではなく癒される側が下さねばならないのです。たとえ人助けを自認していても自分の意志を人に押しつけるようなヒーラーはどれほど巧みにヒーリングを施したとしても結局はそれほど効果をあげられないことに気づくでしょう。ヒーラーである人は癒されたいと扉をたたく人々の訪れがどれも偶然ではないことを理解すべきです。ヒーラーが自分に引き寄せるクライアントは往々(おうおう)にしてヒーラー自身の心理的・霊的問題の反映であることが多いからです。したがってヒーリングを行い、より高次のエネルギーの通り道となるプロセスにおいてはヒーラー自身も学びの徒なのです。もしヒーラー自らが謙虚で自分の「進化途上のプロセス」の反映であるクライアントに対して寛大かつ率直であればそのようなヒーラーは自己認識や思いやりにおいてさらなる成長を遂げるでしょう。最後になりますがヒーラーは人には病んだり苦しんだりする権利もあるのだということを明確にしておく必要があります。ヒーラー自身の予定表を人に押しつけるべきではありません。クライアント自身が自分の速度でより大いなる気づきへと歩むことができるようにそのための空間と時間を認めてあげるようにしてください。」
中略。
エネルギー体としての私達にとって「カー」というものの重要性を説いています。マカバ瞑想の「カ」はここで言うカーのことかと思います。ヒーリーングのエネルギーは大いなる源からくるものであり私達がこの源とつながることが出来れば誰もがヒーリング状態となりヒーラーの存在は不要です。本来はこれが望ましい状態でしょう。私達は自分がエネルギーであるということとともにエネルギーが無いと生きていけないことを認識すべきでしょう。そしてエネルギーを補給するために何が必要なのかを知識として学ぶと共に実際に実践しエネルギーを充実させることでより健康に生きることができるようになります。