ある対象に気持ちが悪い、見るのも嫌だと感じることがどこから来るのかを探ってみました。
人によって何が気持ちが悪いか、嫌なのかは違います。もちろんある程度共通のものもあります。気持ち悪い、嫌だと感じる時、それを愛せないと感じます。でも愛がないのかと思うとないのではないんです。愛を感じようとすると感じるのです。つまり自分の中にあるフィルター(つまり価値判断)があるのがわかりました。で愛せないと感じるのはその対象なわけですが、これは実は自分なのだと気づきました。つまり自分の中に愛せないと感じる部分があるのです。ここまで書いてきて、「愛せない自分を許そう」と思った瞬間に涙があふれてきました。愛せないことに罪悪感を感じていたのです。いい気づきです。次に愛せないと感じるフィルターが何かを感じてみました。感じると「嫌う対象が自分と違う」という分離感がありました。また「嫌う対象からの悲しみ」を感じました。つまり私が悲しみを感じたくなかったのです。久しぶりにすっきりした感じです。感情のつまりみたいなものかなと思います。嫌な感情が残っているということ消化していないということです。つまり経験しきってないのです。嫌な感情をアバターのツールである程度消しました(完全ではないです。たぶん、他にも価値判断している信念がありそうで、それが何かはまだ?)。感情を扱うにはこのツールは有効です。またこの感情は無条件の愛で包むことでも消えます。つまり価値判断をなくすことにつながるので、結局はアバターのツールと同じ効果があります。ただ方法が違っていてもベースにある力の源(みなもと)は同じ感じがします。それは「私は力を持っている」ということかもしれません。
追記1:さらに感じるとその対象を見てその対象が「愛されない」という感じがするのだと感じます。この対象について言ってませんでしたが醜いと感じるものや汚いと感じるものです。「美しくない(醜い、汚いなど)と愛されない」という信念がありました。なぜ醜いとか汚いと感じるかさらなる核心があると思うのですがまだわかりません。「自分と違うから」の他にも何か理由がありそうです。自分が決めたのは確かなのになかなか見えてきません。
追記2:「自分を愛していない」という感じがありました。自分の嫌なところも含めて自分をすべて受け入れていないようです。嫌なところを思い出しそれを受け入れていきます。自分の波動が変わるのがわかります。たぶん追記1の汚い、醜い対象そのものになり、それを受け入れることを許すと。「美しくない(醜い、汚いなど)と愛されない」という信念が消えると思います。ただなぜ醜いとか汚いと感じるかさらなる核心はいったいなんだろう。