生きる意図、死ぬ意図
12月 22nd, 2014 by Atom
エゴは「幸せになりたい」という意図を持ちます。
当たり前のように。
でも、私達の身体を作っている細胞はどうでしょうか。また細胞が形作る器官とか臓器とか。
手は、脚は、幸せになりたって意図を持っているのでしょうか。
持ってないんだろうなと思います。
ただ細胞一つ一つは、「生きる」つまり生命を維持し、死なないように働きます。
まるで、生きる意図を持っているかのように。
そして、実は「生きる」意外にもう一つの意図があります。それは「死ぬ」。
人は必ず死にます。動物も植物もそうです。
細胞分裂がずっと続けば、ずっと生きれるはずですが、あえてそうは、なってません。
ある意味、細胞は「生きる」という意図をいつの日か「死ぬ」に変えてしまうようです。
ガンは自己増殖してしまいますが、これも死ぬためとも受け取れます。
これら「生きる」と「死ぬ」という意図は、まとめると「経験」するという意図になります。
でも、細胞自体が自らそういう意図を持っているというよりも、誰かの意図を忠実に受け入れているだけという感じでしょう。
つまり、細胞は命令通りに動いている。それが現代科学なら遺伝子ということになります。
スピリチュアル的には意識とか魂とか大いなるものとか神とか呼ばれるものになるかもしれません。
じゃあ、何のために経験するの?
こういう疑問がわいてくるかもしれませんが、それは、わかりません。
エゴのように感情や思考などを経験したいのか、他に何か目的があるのか、それとも何の目的もないのか。
ただ、大事なのは何のために経験するかではなく、今、どのように生きるか。これだけです。
今ここ、ですね。